昨年、『流』で直木賞を受賞した東山彰良さん。台湾出身であることや、『流』が自身の父をモデルにした小説であることも話題になったが、東山さん本人は一体どのような子ども時代を送ったのだろうか? そして、小説だけでなく、映画や音楽好きな一面も持つ東山さんが影響を受けていた作品とは? 初のエッセイ集から窺い知れるその素顔について伺いました。
僕は台湾で生まれたのですが、父の仕事の関係で5歳の時に広島に渡って、また台湾に戻って、9歳の時に、今度は福岡に来ました。初めて日本に来たときは日本語も喋れないし、大好きだった祖父母とも離ればなれになってしまったので、精神的なショックが大きかったですね。とはいえ、来てみたらテレビも面白いし、友達もできたし、日本にもすぐ順応しました。
――よく一緒に映画を観に行ったという三阿姨(おばさん)や、小説の取材のために山東省まで話を聞きに行った馬爺爺(マじいさん)など、小説さながらの魅力的な人たちが登場しますね。
三阿姨は“子どものヒーロー”でした。僕たちに何でもさせてくれるおばさんで、小学校5年生のときには僕にスクーターを運転する手ほどきをしてくれたし、高校に上がる頃には車の運転を教えてくれた。高校1年生のときにはお酒を飲みに連れて行ってくれたのですが、そこで隣にいたトラックの運転手ともめてビールジョッキを投げつけられて、40針も縫う大怪我をしたり(笑)。そのせいでおばさんは各方面からものすごくお叱りを受けたのですが、でも、こういうことが子どもの頃はすごく嬉しかった。
馬爺爺は、会いに行った時点で90歳を超えていて、それからしばらくして亡くなってしまいました。でも、会ったときは、この人は永遠に生きるんだろうなと思うくらいに力強かったですね。馬爺爺には父方の祖父の話を聞きに行ったんです。小さい時はこの祖父の家に行くのが好きではなくて。というのも、祖父は一人暮らしだったので、出てくる食事といえば粗野な餃子と、コーリャン酒や紹興酒ばかりで、子ども心に「こんなもの何がうまいんだ」と思っていたんです。でも、祖父が亡くなってから、自分の家にはお金を入れないのに兄弟分の未亡人にお金を届けたりしていた話を周囲の人たちから聞いて、無条件に、カッコいいなと思いました。子どもの頃には、そのカッコよさがわからなかったんですね。僕自身はヤクザっぽいところは全然ありませんが、祖父の代が中国大陸でやらかした武勇伝には、憧れているところがあります。