- 2017.01.07
- 書評
クレと桜子の苦難の道のりに、台湾のわが家族の運命を重ねて
文:東山 彰良 (作家)
『桜子は帰ってきたか』 (麗羅 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
作品の解説に入るまえに、まずはすこしばかりわたし自身のことを書いておこう。
わたしはルーツを中国大陸に持つ者である。祖父の世代はちょうど抗日戦争、そして国共内戦と立て続けに戦火に翻弄され、左袒(さたん)していた国民党の敗北とともに台湾へと逃れ落ちた。台湾で生まれたわたしは、全土に戒厳令が敷かれているとも知らずに、天真爛漫な幼年時代を送った。わたしたちは蒋介石を神のように崇め、なにかと言えば反共主義的なスローガンを叫ばされ、映画を観る前にはかならず起立して国歌を斉唱せねばならなかったが、時代は活気に満ちていて、台北の街は胡乱で猥雑で、そしてこの上なく愉快だった。
そんな環境だったせいだろう、常に戦争というものを意識するともなしに意識させられていた。国軍が共産党を殲滅する国威発揚的な映画を観ては、いずれ国民党があの広大な中国大陸を光復する日がやってくるのを漠然と夢見ていた。身の回りにも戦争の影が落ちていた。祖父などは脚に被弾の痕があったし、軍人だったので国からジープを支給されていた。それに乗って台北の街を走れば、憲兵が必ず敬礼をしてくる。そんなとき、祖父がステアリングをさばきながら投げ返す敬礼がなんともかっこよく、子供心にも誇らしく思えたことをいまでもよく憶えている。
わたしには伯父が数人いるのだが、そのなかに血のつながらない伯父がひとりいる。もう他界してしまったその伯父は、国共内戦中に国民党に捕まり、わたしの祖父の勤務兵、つまり雑用係をやらされた。そのころ伯父はまだ十六、七歳の少年だった。伯父のほんとうの家族にどういう事情があったのかは知らないが、国民党に捕まったとき、彼はひとりで荒野をさまよっていたという話だった。
祖父はその伯父をじつの息子のように扱い、伯父のほうでも忠義を尽くしてわたしの家族を命懸けで守った。弟たち(つまり祖父のほんとうの息子たち)の手を引き、老人を守りながら何十里もの道を踏破して戦火を逃れた。一九四九年に国民党が負けて台湾に追いやられたときも、祖父に付き随って海を渡った。以後、たとえ血のつながりはなくとも、伯父は揺らぐことなくわたしたちの家族であった(母たちは伯父のことを「大きい兄ちゃん」と呼び、わたしは「大きい伯父さん」と呼んでいた)。