書評

アメリカはなぜ本気で火星を目指すのか

文: 真山 仁

『売国』 (真山仁 著)

米では宇宙ベンチャーが躍進。小説『売国』で日本の宇宙産業に切り込んだ作家・真山仁が辿る、熱き現場と日本人研究者たち

 スペースXが、民間宇宙船として初めてISSにドッキングを成功させたのが二〇一二年。なのに来年には有人宇宙船でのISSドッキングを目指している。

 この状況を知った時、プロジェクトマネージャの森田泰弘教授がイプシロン打ち上げに際して、「ロケットは、近い将来、飛行機のような感覚で打ち上げなければならない」と語っていたのを思い出した。

 つまり、「宇宙飛行を終えたら、一時間以内に再びテイクオフする。それが当たり前になってこそ、宇宙開発が身近になる」という目標が、米国の宇宙ベンチャーでは既に現実味を帯びてきているのだ。

 今回の取材では複数の宇宙ベンチャー関係者に取材した。小説のための取材で、記事にはしないという条件だったため詳細は記せないが、彼らのムードは「火星に行くのは既に織り込み済みの目標。その過程で自分たちは何ができるのかが課題」だった。

「古い宇宙開発の常識に囚われている者には、火星の有人探査なんてありえないだろう。だが、今や宇宙のフィールドには、明らかにシリコンバレー的な発想が流れ込んでいる。彼らは、不可能か可能かを議論しない。やると決めたらやる。驚くべき事に、それを次々に達成して、頭の固い連中を驚嘆させている」

 NASAのOBで、今なお宇宙開発に多大な影響を与えている重鎮の一人は、嬉しそうにそう語った。

「月なんてつまらない星だよ。でも、地球と似ている火星には、無限の可能性がある。ならば、それに挑まなければならない」

 宇宙ベンチャーの台頭に、積極的にエールを送る重鎮の姿勢こそが、健全な米国のフロンティアスピリットなのだろう。

日本の戦略なき宇宙開発を危惧

 だが取材を進めるうちに火星有人探査計画に沸く一方で、ある懸念が何度も話題に上った。

 それは、「日本の宇宙開発は大丈夫か」という問いだ。

 小惑星探査機「はやぶさ」の成功により、日本の宇宙開発の評価はさらに高まった。また、構想時からアメリカに寄り添うように協力してきたISSでの日本の実績を、米国は高く評価し信頼を寄せている。

 現在米ロ加日欧の計十五カ国が参加しているISSは、“宇宙の実験室”とも呼ばれ、宇宙空間に宇宙飛行士や研究員が滞在し、無重力状態の中でさまざまな実験が行われている。日本は、同ステーションの開発が決まった一九八八年から参加。二〇〇九年に完成した実験棟「きぼう」はISS最大の実験棟であり、装着したロボットアームの性能の高さなどで成果を上げてきた。

 ところが、ここ数年、日本は何度か「ISSからの撤退」を仄めかしている。

 皮肉な事に今年三月九日、日本人宇宙飛行士若田光一氏が、アジア人として初めてISSのコマンダー(船長)に就任した。若田氏は一九九六年、スペースシャトル・エンデバーに初搭乗以来、今回で四度目の宇宙滞在となる。ロボットアームのスペシャリストとして知られた若田氏にとって、名実共に世界の宇宙飛行士の殿堂入りを果たしたと言える快挙だ。

 だが、「ISS開発当初から莫大な費用を負担したにもかかわらず、コマンダーに就任したのは、参加国の中では日本が最後。そもそもISSで何か成果を上げたのか」というような声が、政治家や宇宙政策委員会の委員からも漏れているのが実状だ。その結果、オバマ政権が当初二〇一六年までと決めていたISSの運用を二〇二四年まで延長すると発表しても、「二〇年以降については未定」という姿勢を日本側は崩していない。

 ISS撤退のムードの根底にあるのは、年間約四〇〇億円と言われる運用費だ。

 日本の年間の宇宙関連費の予算は、今年度は増加したが三八二七億円に過ぎない。総額の一割強を占めるISS運用費が高いと感じるのは事実だろう。では日本は、ISSに参加していない中国のように宇宙開発を独自で行うだけの決意があるのだろうか。このところ微減が続くと言われている米国は民生・軍事を併せると約三兆八〇〇〇億円に達する。巨大予算を誇るアメリカをはじめとするロシアやヨーロッパなどの宇宙大国と協調しながら、強みを磨くしかない中で、ISSから撤退することは、日本が事実上宇宙開発事業を断念するのと同じ意味ではないのだろうか。

 民主党政権時の仕分け作業で「費用対効果を上げていない」と批判が始まったのを皮切りに、宇宙開発に積極的だと言われている安倍政権でさえも、同様の声は上がり続けている。 「ISSにおける日本の実験施設である“きぼう”は世界的に高い評価を受けている。また、国産輸送機の“こうのとり”の技術を、アメリカは次世代の輸送機に生かしたいとも言っている。宇宙開発の現場で、アメリカがこれほど高く日本を評価した時代はない」

 日米の宇宙関係者はそう口を揃えるのだが、目先の利益しか見ようとしない人たちには、宇宙開発は所詮“お荷物”でしかないらしい。

 宇宙開発は日本の最後の切り札だと、私は思っている。ポスト工業化社会などと言われても、付加価値の高い製造品で稼ぎ、資源不足や食糧不足を補うという日本の従来の産業構図は一向に変わらない。原発プラントを輸出しようというのも、高い製造技術が他国の追随を許さないからだ。

 宇宙開発には、ものづくり大国・日本のお家芸を生かせる要素がたくさん詰まっている。また、終戦直後の、故糸川英夫博士から続く宇宙開発の伝統は、欧米では「考えられない」というほど高度な技術力を誇っている。

 問題は、その研究開発の過程で得た技術の集積の意味を理解せず、技術開発と産業化を繋ぐ努力を怠り、成果の評価すら正しくできない日本政府や政治家にある。 「宇宙開発には、国家としての明確なビジョンや覚悟が必要だが、日本はそれが漠然としていて見えない」という嘆きの声を、今回の取材で何度も聞いた。

 とにかく手っ取り早く儲ける方法を考えよ――という考えが、バブル崩壊以降の日本の政界や財界、そして官僚にまで染みついてしまっている。その結果、研究開発という将来を見据えた長期計画で、新産業を構築するという日本独特のスキームを失ってしまっている。

 彼らは、成長戦略だの成長産業だのをお題目のように唱えているが、それらを本気で実現したいと考えているのであれば、産業まで創造してこその政治家であり財界ではないのだろうか。

 もちろん、日本でも宇宙ベンチャーは既に存在している。例えば、段ボール箱大の重さ一〇〇キロ以下の超小型人工衛星の打ち上げに成功したアクセルスペースのような存在は、頼もしい限りだ。

 しかし、「火星に行くためやるべきことをやる」と豪語するスペースXのそれと比べれば、あまりに環境が違いすぎる。

 米国は、低軌道の宇宙産業について民間に委託したとは言え国家によるバックアップは万全の体制なのだ。ISSへの輸送を担当する両社に六、七年分の期間で総額二―三億ドルにも及ぶ支援や人的技術的協力も行っている。

 片や日本は宇宙開発に限らず、国際貢献で尽力した優秀な人材を国内でほとんど活用できていない。

 例えば、現役の宇宙飛行士として実に六八〇時間を宇宙で過ごしたチャールズ・ボールデンは現在NASA長官である。翻って、日本の宇宙飛行士は、誰一人JAXAの理事にすら就いていない。

売国
真山 仁・著

定価:本体1750円+税 発売日:2014年10月30日

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