(「文庫まえがき」より)
はじめて大阪の地で門井慶喜さんとの建築散歩の機会を得てから、はや五年が経ちました。
大阪だけの単発の企画だったものが、あれよあれよといううちに京都・神戸と関西の三都に範囲を広げ、さらには横浜・東京へひとっとび。このたびの文庫化に際しては、お台場でのライブ・イベントの様子に加え、ついには海を越えて台湾まで探訪の羽を広げるという新展開を掲載するに至りました。まさに「ひょうたんから駒」の大出世、えらいこっちゃであります。
そもそもが建築ど素人の私がこのような本に関われたのも、これひとえに門井さんのおかげであり、文庫本の出版にあたり原稿をチェックしても、自分のコメントが門井さんに比べ格段に少ないため、必然、それに伴う仕事量も少なく、何やら申し訳ない気がしています。門井さんがあれだけのノーブルな薀蓄を垂れられるというのは、その背景に膨大な知識の蓄積、日々の研鑽があるわけで、何も用意せずふらりと現場に赴き、「なるほど」とうなずき「アハハハ」と笑っているだけの自分のコメントを読んでいると、もちっと勉強していけよ、と深く反省しないでもないわけですが、印税はきっちり半分いただいています。ありがとう、門井さん。
さて、二〇一二年に単行本を上梓するにあたり、ひとつだけ要望を出したのは、「なるべく写真は小さめに」ということでした。それは、写真を鑑賞して満足してしまうのではなく、建物に興味を持ったあかつきには、ぜひ自身の足で現場に赴き、自身の目で実物を確かめてほしい、というひそかな願いがあったからです。文庫化した本書においても、ときどき大きな写真もありますが、全体的に写真が控えめなのは、そういう意図があるとご理解ください。
実際に、本書では厳しめにコメントしている大阪の芝川ビル。その後二度、三度と足を運びまして、今は実に味のある建物だなと感じています。しかし、あまりにかっこいい写真を事前に目にしていたため、イメージが高まりすぎて逆に初見の評価が下がってしまいました。再訪してようやく偏りない自分の視線で見ることができるようになったわけです。未知のものに出会うよろこび、初見のインパクトというのは、やはり大切にしていきたいと思うのです。
そうそう、最近、大阪城天守閣に勤務する学芸員の方からおもしろい話を聞きました。本書のなかでも、鉄筋コンクリート造りの近代建築として紹介される大阪城天守閣ですが、来場者アンケートのなかに、
「俺が子どもの頃に来たときは木造建築だったのに、こんな鉄筋コンクリート造りにして、エレベーターなんぞ設置してけしからん」
というお叱りの言葉があったそうです。
今やゆうに八十歳を超える老齢となった現天守閣です。げに、人の記憶とはあやふやなものだな、と教えてくれる笑い話ですが、学芸員の方が、
「結構、中に入ったら鉄筋コンクリート造りであったりエレベーターがあったりで、がっかりされる方もいるのです。でも、あのエレベーター、昭和天皇が若いころ日本ではじめて乗ったエレベーターかもしれないのですよ」
と教えてくれたとき、急に歴史の薫りが立ち昇るのを感じました。
建物にストーリーが添えられると、それまで何とも思っていなかった鉄とコンクリートのかたまりに、歴史の息吹が添えられ、俄然、親しみが湧くようになります。さまざまな建築散歩のなかで、門井さんの話を聞きながら、何度も去来したしあわせな感覚です。
願わくば、この本を手に取ったみなさんにも、近代建築との幸福な出会いがあり、そこからあらたな興味の地平が拓かれんことを!
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『男女最終戦争』石田衣良・著
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