1 島、そして橋
私がその橋を初めて渡ったのは、高校時代に所属していたクラブの合宿にOGとして参加したときのことです。同じようにOB参加していた先輩が運転する車に、友人たち数人と乗せてもらって通りました。夏空を背景に屹立(きつりつ)する真っ白い二つの塔、そこから延びるケーブルによって吊られた大きな橋は、たいそう爽快な眺めでした。橋を降りたあと、喫茶店に寄って生まれて初めて飲んだレモンスカッシュの味と共に、よく覚えています(我ながらいつの時代の話だ。確か橋が架かったばかりの夏、一九八四年のことだったはずですが)。
個人的な話から入ってしまいましたが、私が本書『望郷』の解説をご依頼いただいたことと関係があるのでご了承を。『望郷』の舞台となっている白綱島は、作者である湊かなえさんの故郷である因島(いんのしま)がモデルです。造船と柑橘の栽培が盛んで、日本最長(当時)の吊り橋の完成によって、作中の表現を使うなら「本土」と地続きになり、しかし日本の産業構造の変化によって島の経済にも翳(かげ)りが生じ、やがて対岸の市に吸収合併される――そんな因島の歴史がそのまま白綱島の歴史に重ねられ、本書に収録された六つの物語の背景となっています。そして私のふるさとは「みかんの花」で触れられている、白綱島の合併相手である「O市」なのです。
『光原さんも湊さんと同じように瀬戸内の風土をよく御存じでしょうから』ということで編集部からご依頼をいただき、この傑作短編集の解説をさせていただけるならとお引き受けしたのですが、今回読み返して気軽に考えていたことをちょっと反省しました。同じ瀬戸内地方とはいえ、作中人物たちの見ている風景は、私とまったく違う気がする……!(自信を持って「これはわかる!」と断言できるのは、「石の十字架」や「光の航路」に登場する、あなごの入った巻き寿司やちらし寿司の味くらいか。これ本当においしいんですよ)
たとえば冒頭で述べた白い吊り橋の意味するもの。私にとっては単に「爽快な眺め」であったあの橋が、本書の中でははるかに複雑な意味合いを持って描かれます。
同じ瀬戸内でも「本土」側に住む人間は、地続きですから、その気になったら東京でも北のはずれの竜飛岬まででも歩いて行けます(その気にならないけど)。しかし島嶼(とうしょ)部に住んでいると、“歩いて”島の外に出ることはできません。もちろん白綱島は(因島同様に)絶海の孤島というわけではなく、橋が架かる前から日に何便も定期船が通っていたはずです。しかし、それまでは生身の人間が自分だけの力でよそに行くことはできませんでした。橋が架かることによって、島の外の世界は「その気になれば歩いて行ける」ところとなったはずです。何かが不可能であること自体は人間を苦しめません。「可能であるのに、何かに阻まれてできない」ことが人間を苦しめます。白綱島での暮らしに閉塞感を感じ、外の世界に憧れる作中人物たちにとって、白い美しい橋は外に通じる希望であると同時に、はかない夢を見せる残酷な存在でもあったのではないでしょうか。
そして本書『望郷』は、そんな島に来る人、島から去る人、島にとどまる人、島に戻る人、様々な人生を鮮やかに切り取ったミステリー短編集なのです。