2 ミステリーとしての『望郷』
(これ以降、本書に収録された作品のいくつかの具体的な内容に言及します。ミステリーとしての真相までは明かしませんが、個々の作品内容について先入観を持ちたくない方は、以降は本書を読了後に読んでいただけるようお願いします)
前項で本書のことを「ミステリー短編集」であると書きました。確かに、収録作の一つ「海の星」は選考委員の絶賛を得て第六十五回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した名作であり、他の五作品もミステリーに分類してさしつかえないでしょう。しかしどれにも、密室やアリバイといったいかにもミステリーらしい謎は登場しません。そればかりか、物語の終盤までそもそも「謎」の存在がよく見えない作品がほとんどです。
またしても個人的な話となりますが、私はかつて「十八の夏」という短編を書きました(畏れ多いことにこの作品が第五十五回日本推理作家協会賞を頂戴したのですが)。実は執筆にあたって、「ミステリーでは一般的にまず謎が提示されてそれが解決されるが、物語の中に謎が存在すると読者に思わせず、普通の小説のように話を進めて、終盤に至って『ここに謎があったのだ』と判明するようなミステリー小説が書けないだろうか」と考えていました。拙作においてそれが成功したかどうかはさておき、本書『望郷』におさめられた作品を読んで、私がおぼろげながら考えていたことが理想的な形で実現されていることに驚嘆したのです。
たとえば協会賞受賞作「海の星」。父が突然失踪して苦しい生活をしいられる母子の元に、漁師である「おっさん」が足しげく通い、おいしい魚を届けてくれる。息子は彼の下心を疑い、母子はやがて「おっさん」と決別するが、別れ際に彼が見せてくれた海面に青く輝く「星」のことは、息子の心に強く残っていた。と、ここまでなら、母に思いを寄せる男性に反発する少年の心を描いた普通小説のように読めるのですが、月日を経て彼の前に「おっさん」の娘が現れ、あることを告げたとき――。
あるいはこの作品集中、ミステリーとして「海の星」と双璧をなす名品、「夢の国」。夫と子供と共に、幼いころからあこがれ続けた東京ドリームランド(もちろんモデルは、千葉にあるあの夢の国ですね)に初めて訪れた女性が、アトラクションのあれこれを経験しながらこれまでの白綱島での生活を回想する物語です。圧制的な祖母と、それに対して何も言うことができない父母のもとで窒息しそうだった彼女の青春を描いた普通小説と思いきや、終盤も近いある場面から驚くべき真相が語られ――。
どちらの作品も、その場面まで来て「えっ」と驚き、前のページをめくってしまう人が多いのではないでしょうか。そして物語全体に溶け込んだ謎があったこと、それを暗示する伏線がそこまでのあちこちに張られ、しかも伏線とわからないよう周到に隠されていたこと、これらの作品が紛うかたなきミステリーであったことに気づくでしょう。まさに名人芸です。
このように『望郷』は、ミステリーとして傑作でありながら一見ミステリーの顔をしていない、だからミステリーを読みなれていない人にも楽しめる貴重な作品集です。ミステリーファンとしては、日ごろミステリーを読まない、あるいは好きでない方に本書を是非お勧めして、「ミステリーってこんな面白さもあるんですよ」と宣伝したいものです。
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