この遊びまくった日々が終わったのは、やはり子どもを持ったから。夫の「外に出掛けてばかりいないで、家にいろ」という締め付けもさらに厳しくなって……(笑)。
「最初で最後の出産記」は、自分の子どもについて書くのはこれ一回きり、と決めて書いたもの。プライバシーもなにもなく、妊娠について心無い報道されて、あのときはほんとに辛かった……でも、連載をいつも読んでくださっている読者の方にはやっぱりこのことについて書いておかないといけないと。これっきり子どもについての文章を書くことはありません。今でも時々、「あの文章はよく覚えてる」なんて言ってくださる方がいますね。
よく言われるような「子どもを産んで初めて人生がわかった」みたいなことは、全く思ったことはありません。そんな立派なことでもなんでもなくて、私は、母から受け継いだものを次に繋げたかったし、中にも書いてますけど、私の子どもに「ほんの少しでも母に息を吹きかけてほしかった」。
自分の子どもを持つということは、めちゃくちゃ強い「自己愛」の結晶なんです。
ひとつだけ人様に言えるのは、高齢出産はキツイ、ってこと(笑)。私の場合は幸いシッターさんを頼ったり、お手伝いさんに家事を頼んだりできますけども、それでも年をとってからの子育ては体力的に非常にキツイんです。なかなか出来なくて努力している人はもちろん別として、高齢出産を計画するのはやめておいたほうがいいですよ。いま、若いときにたくさん遊んだり仕事したりして四十歳くらいで子どもを持ったほうが楽しい、みたいなことを本気で思っている女性がいるようですけど。
この『「中年」突入!』の中にも何度か、東大卒でイケメンで性格もいい官僚とか大企業勤務の、まるで「桐箱入りのメロン」みたいな男性のことが出てきますけど、私は実際にこういう男の人たちにたくさん会ってるわけです。この頃、遊びの集まりでマスコミの人、官僚、時の知事の方にもお会いしてよくご飯食べたりしてました。私が遊んでいることに対して「作家のくせに」と眉をひそめる人もいましたよ。本業以外の無駄なことに時間を費やしている、と思うんでしょうけど、例えば今わたしが小説の中にこういうエリート男性を登場させるとき、書物で調べたり、頭の中だけで、エリートってこんな人かな、って考えて書くんじゃなくて、自分の記憶に沈殿している彼らの像が動き出すんです。小説の中で、実際に会った彼らが勝手に喋ってくれる。
職人がよく「考えてたら仕事は出来ない、手が勝手に動くようじゃないと」って言いますけど、作家も同じ。そういうことが出来るようになるために何十年もお金使って人と会って、遊んできたんです。ほんと、作家っていろんな人に会ってないと駄目だと思う。
本の印税は、作家が読者から貰うお勉強代なんですから。
この九〇年代の多くの経験が、今の私を作ってるんだと思います。
(語り下ろし)
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