銀座を舞台にしたミステリーとくれば、これはもう松本清張である。たとえばドラマでもお馴染みの長篇『黒革の手帖』。銀行のOLが横領した大金を元手に銀座にバーを開き、のし上がっていく話だが、欲望渦巻く社交世界は政財界と深く結びついており、清張の筆はその闇をもえぐり出してみせた。
山口恵以子は長篇『月下上海』でその清張の名前を冠した小説新人賞、第20回松本清張賞を受賞してブレイクした新鋭だ。受賞作は第2次世界大戦時の中国・上海を舞台に財閥令嬢の愛と冒険を描いた歴史活劇。強靱なヒロイン像は『黒革の手帖』の主人公とは対照的というべきかもしれないが、長篇第4作に当たる本書『あなたも眠れない』の七原慧子はちょっと違う。清張度がぐっと強くなり、作品もまさに師にオマージュを捧げたような銀座ミステリーに仕上がっている。
といっても、慧子には金欲はない。彼女が銀座で働き出すきっかけも人には想像もつかぬものだった。1年余り前、彼女は旅客機の墜落事故に遭い、自らは助かったものの家族を失ってしまう。だが未だに悲劇の実感が得られず、以来重度の不眠症にさいなまれるようになった。そんなある日、コンビニで強盗事件に居合わせ啓示を受ける。人は必要なものを盗む。眠りの欲しい人間は、眠りを盗めばいい、と。彼女はラブホテルに張り込み、秘密を抱えたその客たちに脅迫状を送った。そうやって相手を眠れなくさせると、自分は深い眠りにつけるのだ!
銀座の高級クラブRYONS(リヨン)の会計係に就職したのも、ここなら獲物に不自由しないと睨んだから。事実、民事党幹事長をパトロンに持つママの美佐子を始め、RYONSのホステスも客も多くの秘密を抱え込んでいた。美しい外見とは裏腹に邪気にまみれた女たち。脅迫材料の収集に余念のない慧子。そんな彼女も気にかける娘がいないわけではなく、気立てはいいが枕営業を余儀なくさせられているヘルプのホステス繭には、眠りの材料を貰っていることもあって感謝していた。だがある晩、繭は接待を拒否して店をクビになり、翌週思いも寄らない事件に関わることに。そして慧子の身にも、その余波が……。
時代はバブル経済崩壊の幕開けの年、1990年。景気が急速に落ち込んでいくのと時期を同じくして、慧子の周辺もにわかに剣呑なムードが立ち込める辺り、暗黒(ノワール)小説的な犯罪ものの王道をいく展開といえようが、ノワールといえば、そもそも七原慧子の造形からして黒々としていよう。
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