現在の日本に文学賞は無数にあるが、ニュースで大きく取り上げられるものといえば、芥川賞・直木賞に、江戸川乱歩賞と本屋大賞くらいであろう。しかし、今年(二〇一三年)は、ちょっと事情が違った。松本清張賞が、大きな話題を集めたのだ。なぜか。その理由は受賞者にあった。
山口恵以子は、一九五八年、東京に生まれる。早稲田大学文学部卒。会社員を経て、派遣社員として働くかたわら、松竹シナリオ研究所で学び、二時間ドラマのプロットを多数作成する。その後、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しながら、小説の執筆に取り組んだ。二〇〇七年十月、文庫書き下ろし時代小説『邪剣始末』で、作家デビューを果たす。二〇〇九年には、ケータイ小説『血は知っている』を発表した。また、多数の作家を輩出した新鷹会の会員であり、会誌「大衆文芸」にも作品を寄稿している。ただし、それほど注目されることはなく、作家生活は必ずしも順調ではなかった。
だが、二〇一三年に『月下上海』で、第二〇回松本清張賞を受賞すると、状況は一変する。いささか俗っぽい言い方になるが、食堂のオバチャンが文学賞を受賞したことが、マスコミの興味を惹いたのであろう。複数のニュース番組で取り上げられたのだ。また、そこに登場した作者のキャラクターがよかった。たまたま私も、テレビで観たのだが、長年にわたり文学と格闘した果てにたどり着いた境地が、作者の言葉の端々から伝わってきて、深く感じ入るものがあったのだ。それは「オール讀物」二〇一三年六月号に掲載された、「受賞のことば」を見てもよく分かる。下積み生活四半世紀を“長い長い道のり”でしたという作者は、
「立派な出版社から大きな賞をいただいて、宣伝もしてもらえる、書評でも取り上げてもらえる、本屋さんに平積みしてもらえる……時代小説文庫でデビューした時のことを思うと、今度はまるで魔法の絨毯に乗せてもらったようなものです。
でも、その魔法は一年で消えます。
来年の今頃は、新しい受賞者が誕生しています。それまでに世間のみな様に『面白い』と思っていただける作品を書けなければ、また元の木阿弥、私は忘れ去られるのです。
浮かれた気持ちは微塵もありません。
すでに戦闘モードに突入しております」
といっているのである。松本清張賞を受賞した喜びを表現しながら、けして浮かれてはいない。自分の置かれた立場を冷静に分析し、前に前にと進む覚悟を表明する。世の中を熟知した人間の、したたかな魅力が横溢しているのだ。
もちろん、受賞作の内容も素晴らしかった。舞台は戦時下の上海。主人公は、自らを原因とするスキャンダルを利用し、人気画家になった財閥令嬢の八島多江子。画風が時代と合わないため、上海に来た彼女は、憲兵大尉の槙庸平や、前夫の奥宮瑠偉など、さまざまな男と絡み合う。日本人として、画家として、そして女として、どう生きるのか。幾つもの出来事に翻弄されながら、それでも自分の道を歩もうとする、ヒロイン像が鮮烈であった。選考委員の選評を見ても、
「読み始めれば一気に最後のページまで引っ張られる筆力が圧倒的だった」(石田衣良)
「地獄のような日常を生き抜き、折り重なる不幸にもめげることのないヒロインの強靭ぶりも清々しい。作者はヒロインの強さにこだわり、徹底して挫けない女性を描くことに成功した」(小池真理子)
「物語の大きなうねりに、大人の読者を引き込むだけの魅力があると感じた」(山本兼一)
など、高い評価を受けたのである。たしかにそれも納得の優れた作品であった。
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