書評

清張超えの銀座ノワール

文: 香山 二三郎 (コラムニスト)

『あなたも眠れない』 (山口恵以子 著)

 大切な家族、両親と夫とふたりの娘を失いながらも哀しみを実感出来ないまま不眠にも悩まされる。そこまでなら普通に悲劇の人だが、彼女は解決策として犯罪行為に及び、快感に酔い痴れもする。その行状はやはり常軌を逸しているし、のちに忌まわしい事件に巻き込まれ、今度は自分が暴力的な脅迫を受ける側になっても恐れを知らないというか、死ぬことさえも辞さない。海千山千のやくざさえ気味悪がるようなキャラクター。

 不眠症を題材にしたミステリーやホラーは珍しくない。重度になるとそこまで暴走しても不思議はないといわれる向きもあるかもしれないが、PTSDによるものであることを考慮しても、これはもはやハードボイルドを通り越して、ノワール的なヒロインとしかいいようがないのではなかろうか。

 もっとも、慧子が事件に巻き込まれる中盤以降は捜査活劇の様相が強くなり、思わぬところに死体が出現するという謎――本格ミステリー的な趣向も呈示される。ハンサムな弁護士も助っ人役に登場、カーアクションまで披露されるし、ヒロインの造形がノワールでも作風がノワールに傾き過ぎないところ――バランス感覚のよさもこの著者の特長というべきか。

 むろん清張オマージュの銀座ミステリーだから、慧子たちの捜査を通して政財界の腐敗が暴かれていくわけで、社会派ミステリーとしての目配りも効いている。前半張りめぐらされた伏線がどう回収されるかも読みどころだが、権力犯罪の告発にばかり目が向いていると、終盤の急展開に驚かされること必至。締めくくりは社会派かと思いきや、そこでもまた、ノワール小説ならではの趣向が凝らされていることが再確認出来よう。

 中国・上海を舞台にした歴史活劇で筆者が真っ先に思い浮かべるのは生島治郎『黄土の奔流』(1965年刊)。最高級の豚毛を揚子江を遡って運ぶハードボイルドな冒険小説であるが、それから半世紀近くたって現れた上海活劇『月下上海』は女性主人公ものに転じていた。読者のニーズがヒーロー小説からヒロイン小説ものへと移り変わってきた中、著者もさらなるヒロイン像を模索していよう。清張的な悪女から後半反転していく七原慧子の造形も、そうした進化の過程をうかがわせるすこぶる魅力的なヒロインであることはいうまでもあるまい。

あなたも眠れない
山口恵以子・著

定価:1,350円+税 発売日:2014年06月27日

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