本書の筆者である井上薫・元裁判官は、異能の法律家である。
私が『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)を上梓(じょうし)した平成十五年当時、裁判官批判はまだタブーとされていた。判決そのものや判決理由についての批判や論評などは辛うじて存在していたものの、裁判官の実名を挙げ、その「個人の資質」にまで言及して判決を断罪したものは皆無だったと言っていいと思う。
しかし、二年後、まったく異なる非難と論評が当の裁判官自身の中から生まれた。
それが、井上薫である。
井上は、横浜地裁の現役裁判官でありながら、『司法のしゃべりすぎ』(新潮新書)と題した著作を刊行した。この中で彼は、裁判官は結論につながる本論以外の「蛇足(だそく)」を判決の理由欄に書く権限はない、と断じたのである。自ら命名した「蛇足理論」を引っ提げての衝撃デビューだった。
現実の裁判を例に挙げて蛇足判決の弊害をわかりやすく説明したこの著作は、マスコミで大々的に取り上げられ、話題をさらった。それは、「裁判官が違法なことをおこなっている」と告発した画期的な“内部告発書”だったからである。
「蛇足」によって、被告は理不尽に傷つけられ、裁判も長期化している実態を克明に記述した井上は、裁判官の世界で「許されざる存在」となった。さまざまな中傷を浴び始めた井上は、翌年、自身の裁判官の地位の任期切れに際して「再任不適当」とされ、裁判官の職を離れざるを得なくなる。
内部告発者がその職を離れる――この時、「トラが野に放たれた」と感じたのは、私だけではないだろう。
弁護士に転じた井上は、精力的な執筆活動に入った。あっという間に十冊を超える著作をものにした井上は、それぞれの作品の中で独自の理論を展開している。
私が、井上を異能と称するには、わけがある。
一般の人は、裁判官、あるいは判決文というものに馴染みが少ないだろう。しかし、一度、裁判官が書いた判決文に目を通してみるとおもしろいと思う。
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