インタビューほか

山下澄人×佐々木敦
カーソルは
たまたま“今”にある。

「本の話」編集部

『コルバトントリ』刊行記念イベントレポート

第150回芥川賞候補にもなった山下澄人さんの『コルバトントリ』。その刊行を記念し、デビュー当初からその作品を高く評価する批評家の佐々木敦さんをお招きしトーク&サイン会を催しました。インタビューの達人の技により、明らかになっていく山下さんのラジカルな芸術観を以下たっぷりとお楽しみください。

混じり合う視点

佐々木 で、書いていく、と。『コルバトントリ』でいうと、「ぼく」というか主人公というかな、少年の話と少年のお父さんの話が入り混じって出てくる。山下さんの小説では、何人かの登場人物が出てきて、この人とあの人は同一人物なのか別人物なのかがよく分からないように書かれています。

山下 それは言われます。この「わたし」はどの「わたし」ですか、と。たとえば「お父さん」を書くときに、「お父さん」が見たもの、「お父さん」の中によぎったもの、と考えていると、だんだん「ぼく」が見たような気になってくるんです。ぼくが今、佐々木さんにぼくの友達が経験した話をするとして、しかし、そいつの話を聞いた時にぼくの中に生まれた映像なり声なりを佐々木さんにしゃべる時、それはもうぼくの経験になっている。

佐々木 だからもう「ぼく」「わたし」と言っちゃっていいんじゃないの、ということですね。これに近いことで、山下さんの小説でよく起きていることとして、人ではないものの視点がいきなり出てくるじゃないですか。動物とか、空を飛んでいる鳥とか。僕はここにいて、空をなにかが飛んでいる。そうすると飛んでいる向こう側からこちらを見ている視点に簡単に移ったりしますよね。

山下 人間の視点には、同時にふたつある、って思うんです。ぼくが飛行機を見上げたとき、飛行機から見下ろす視点がある。それは同時に起きている。だから見上げたときに「あ、飛行機が飛んでる」っていうだけでは半分しか語っていない感じがするんですよ。下から見上げている自分、っていうのと、向こうから見えている、は、セットになっている。

佐々木 視点の話ですが、柴崎友香さんの小説でも「わたし」と言っているのに「わたし」じゃないものの視点が入ってきたりする。小説についてのある考え方、つきつめていくとそういうモードというのが出てきているのかなあ。

【次ページ】時間の因果を解き放つ

コルバトントリ
山下澄人・著

定価:1,300円+税 発売日:2014年02月10日

詳しい内容はこちら
<新刊を読む>陣野俊史「山下澄人の魔法」

シチュエーションズ
佐々木敦・著

定価:1,750円+税 発売日:2013年12月12日

詳しい内容はこちら
<新刊を読む>山田亮太「私はいま、なにをしないではいられないか」
[週刊文春WEB] 青山真治「ジャンルを越境し、3・11を越境する批評集」


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