- 2014.10.11
- 書評
「自分の仕事をもっともっと好きになれ!」
“文楽の鬼”が教える、日本人の心意気
文:樋渡 優子 (ライター・編集者)
『人間、やっぱり情でんなぁ』 (竹本住大夫 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
2014年5月、文楽太夫史上最高齢となる89歳で引退した竹本住大夫さん。なぜ、食うや食わずの生活でも、「死ぬまで稽古、死んでも稽古やなぁ」というほど人形浄瑠璃の太夫の仕事に没入できたのでしょう? 引退までの秘話を、本書の聞き書きを担当した樋渡優子氏が綴ります。
竹本住大夫師匠は、三百年続いた「文楽(ぶんらく)」の歴史始まって以来の、三つの初めて、をお持ちです。
一つは文楽史上初めて、選手として甲子園の土を踏んだ経験があること、二つめは、戦後初めての文楽の入門者で、大学出の太夫(たゆう)(文楽の物語をかたる人)だったこと、そして三つめは、“切場(きりば)語り”と呼ばれる演目のクライマックスの場を語る太夫を、八十代の終わりまで務められたこと――これは大変な体力を要しますので、“超人”の名にふさわしい偉業です。
十月二十八日に満九十歳を迎えられる師匠は、ことし四月の大阪、五月の東京公演をもって、六十八年にわたる太夫人生にピリオドを打たれました。この本は、「ご引退」という一生に一度の節目のドキュメントでありますが、文楽ファンの皆様にとっては、二月末の電撃的な引退発表以来、またたく間に舞台を去って行かれた師匠の胸のうちを知る、初めてのまとまった機会になろうかと存じます。
太夫はピッチャーの役
野球がお好きな師匠は、文楽の太夫、三味線、人形遣(つか)いの三つのパートの役割を「太夫はピッチャー、三味線はキャッチャー、人形は外野手」とたとえられます。野球と同じで、太夫がまず“ええ球”を放らんことには、ゲームが盛り上がらへんと。
たしかに文楽の太夫はふしぎな仕事で、俳優とクラブのDJを合体したようなといえばよろしいでしょうか、物語のあらすじと情景描写と、登場人物全員ぶんのせりふを、たった一人で語り分けます。とにかく忙しいし、泣いたり、笑ったり、苦しんだり、太夫の語りが滞った瞬間に、お芝居全体の流れが止まってしまいますから、客席の期待と舞台のすべてを背負って、自分の体(師匠いわく“肉弾”)ひとつで勝負します。
千人規模の劇場でもマイクなしで、すみずみまで届くしっかりした声が出せるよう、お腹にはお相撲の締め込み状の腹帯(はらおび)を巻いて、ふところにはあずきや小石の入った袋を入れて、座ったままで腹式呼吸するために、小さな椅子に腰掛けて、爪先だちの姿勢で長時間、声を出し続けます。
文楽が海外公演に行くと、「ブンラクには演出家がいないのか!」、「指揮者もなしで、どうして太夫の語りと三味線の伴奏と、舞台の人形の芝居が合わせられるのか?」とびっくりされるそうですが、「それを合わせてみせるのが商売やなぁ」と師匠は笑います。
もっと言えば、太夫も三味線も人形もお互いに「合わせに行ったら絶対にあかん」のだそうで、その理由(わけ)は、相手をうかがうようでは、芸の切っ先がにぶって真剣勝負にならなくなる。太夫、三味線、人形のそれぞれが、自分の持ち場で筒一杯、余力を残さんようにやって、合わせるつもりはないのに、どこかでやっぱり合うてる、それが「文楽」の芸やといわれるのです。
文楽は「引き算の魅力」の集まりです。太夫は役になりきってしまったら語り分けができなくなるので、なりきる手前で止める。三味線は太夫の女房役をつとめ、道案内はするけれども、太夫の前には絶対に出ない。人形遣いは自分が演じるのではなく、人形を動かして芝居をさせる。
みなが自分を前面に出さずに、ひとつ引くことで舞台を作り上げる、これはあうんの呼吸と、人に合わせることが苦にならない日本人の性格がなければ、とても成り立たない芸だろうと思います。
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