平成三十年四月二十八日、七世竹本住大夫師匠は永眠されました。五月、お悔やみのためにお宅にお伺いして、師匠が面会やお稽古に使っておられた和室に足を踏み入れたとき、「この部屋はこんなに広かったのか……」と驚きました。
和机をはさんで、向こう側にお仏壇を背にして師匠が座り、こちら側の壁には、師匠のご実父ゆかりのお三味線が立て掛けてある。その間に腰を下ろすと、もう“部屋がいっぱい”という心地になったものでしたが、それは師匠が放つ生命力と存在感が、部屋に満ち満ちていたせいだったと気付かされました。
光子奥様とお嬢さんの治子さんによれば、師匠は最後まで、お弟子さんを気遣われていたとのこと(お弟子さんの文字久さんは、お見舞いの帰りに自転車で転倒して、膝を怪我されていました)。「おい、見舞いに行ったりぃや……」と言われたのが、治子さんとの最後の会話になったそうです。病室を訪ねた若い三味線弾きさんには、「四月(大阪公演)はどの場に出させて貰【もろ】てる?」と尋ね、「君のとこの師匠は人柄がええから、師匠にしっかり稽古を付けて貰い」と励まされた。
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