- 2014.10.11
- 書評
「自分の仕事をもっともっと好きになれ!」
“文楽の鬼”が教える、日本人の心意気
文:樋渡 優子 (ライター・編集者)
『人間、やっぱり情でんなぁ』 (竹本住大夫 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
叱る力・叱られる力
本書での師匠の語りは、引退のお話に始まり、二年前、脳梗塞に倒れ、リハビリをへて舞台に復帰するまでのこと、戦後すぐ、文楽が組合問題のこじれから二手に分裂し、十四年間もの間、食うや食わずどころか“食わず食わず”の苦労をしながら、全国を巡業してまわった苦闘の日々、そして戦前の華やかなりし大阪の花街・北新地(きたしんち)で育った子ども時代――と、どんどん過去へさかのぼっていきます。
それは戦前、戦中、戦後を通じて、日本人がどうやって生き延びてきたか、その源をさぐる旅路でもあります。
ご引退の前後からNHKや関西テレビで放映された師匠のドキュメンタリー番組が話題になりました。お稽古をつける場面で、お弟子さんたちを激しく叱りつける様子に、視聴者の人たちは反応したそうです。
「太夫の修業は一生では足らんかった。もう一生欲しい。でも、もし二生あったとしても、きっともう一生欲しいと言うやろう」とは、住大夫師匠の兄弟子にあたる四代目竹本越路大夫(こしじだゆう)師匠のことばですが、住大夫師匠もまた、「六十八年やっても、まだ、浄瑠璃(じょうるり)(文楽の物語を語ること)には迷うてる」と引退後も、取材の折に度々口にされました。「ええ星の下に生まれたと感謝しとるけど、脳梗塞になったことは残念や。これさえなかったら、あと半年、一年はやれてたかもしれんなぁ」とも。
浄瑠璃に百点はない、浄瑠璃に終着駅はない、浄瑠璃は奥が深すぎる――と師匠はいわれます。本の中には、浄瑠璃に一生を捧げて、生活のことも何も、他のことは考えない文楽の太夫やお三味線の先人たちとの話がいっぱい出てきます。みな愛すべき方たちですが、世間一般の基準からいえば、いっぷう変わった人たちです。
文楽では、先輩や師匠がた、上の人は下の人を絶対褒めないのだそうです。ただ、「こいつもいつか一人前になる」と信じて、手加減なしでお稽古をつける。日々のお稽古でどれだけ厳しく叱ったり叱られたりしていても、「芸が好き」という一点でつながれた、文楽はひとつの大きな家族です。
迷いがあるときは、住大夫師匠の夢に、文楽の師匠がたや先輩たちが現れて、たいがい叱られるそうですが、「いつかあっちの世界に行ったら、また先輩たちにお稽古を付けてもらえる」と師匠は楽しそうにおっしゃいます――えっ、これだけ長いことなさって、まだおやりになりたいんですね!?
○最初から「文楽は儲(もう)からない」と分かって入ってきてるんやから、金のことを言うたらあかん
○若いうちは裕福になったらあきまへん、努力をせんようになります
○自分が好きで入った道やないか、もっと自分の仕事を好きになれへんか
○成っても成らんでも、一生かけるから修業です
○自分がええかっこしていては、絶対に人のこころは動かせません
○死ぬまで稽古、死んでからも稽古に行かなあきませんなぁ……
日本の経済や社会がうまくいっていた頃なら、こうしたことばは、伝統芸能の世界に限ったこととして受け取られて、お仕舞いだったかもしれません。でも、人と人がばらばらになってしまって、先が見えにくい苦しい時代だからこそ、住大夫師匠のことばは、より力を帯びて、多くの皆様の胸まで届くのではないかと思います。
その国独自の文化は、民族が「いいもの」と思って、ずっと受け継いできたものに他なりません。本のタイトルにもなりましたが、「人間、やっぱり情でんなぁ」と師匠がつぶやかれる日本人の「情」とは、自然に湧き出るものでもなければ、ひとりでに今日まで生き残ってきたものでもありません。
芸を継承する人たちの一生をかけた戦いであると共に、それを何百年も手放さずに、守り続けてきた日本人の心意気のあかしです。ドキュメンタリー、芸談、日本人論、仕事論、師弟論……さまざまに読める一冊でございますが、読んだ後、「自分とは無縁の話だった」と思う方はいらっしゃらないと思います。どうぞ、お手元に――。
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