文庫編集部の児玉藍さんが、初校ゲラを手渡しながら、
「昭和史だけではなくて、俳句もお上手なんですね。びっくりしました」
と、ニコニコしながらいってくれました。単行本のときの編集者山本明子さんは、まったく口にしなかった俳句にたいする褒め言葉なので、ご愛想とわかっていながら、すこぶるいい気持になりました。「そうか、そんなにうまいか」と悦に入って、即吟して一句、また詠んでみました。
蝉しぐれ貂蝉泣ける夢を見る
昼寝の夢に、美女貂蝉がでてきて、さめざめと紅涙をしぼって泣いている。頭上で蝉がジージー鳴いておった、というわけです。何で泣いているのか。それはわかりません。あるいは呂布の死を歎き悲しんでいるのかもしれません。違うかな。
とにかく滅法面白い『三国志』なのですが、勇壮な戦さ場面の連続で、ふつうの物語なら傾国の美女が数多くでてきてもいいのに、なぜかぽろりぽろりと少数がでてくるだけ。なかでこの貂蝉がピカ一なのではないでしょうか。『三国志演義』の第八回と第九回を彩(いろ)どって活躍します。が、本書では安野先生もわたくしも、美女には自信がなくて尻ごみしたのか、五章の名場面集の「呂布と貂蝉」(一九九ページ)でちょっとふれただけで通過しました。いまになるとちょっと残念無念という気になっています。
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それで、その後も『演義』を読んだりして、それとなく目を光らせてみました。貂蝉はたしかに第九回で「呂布はビ【眉におおざとへん】城に着くと、先ず貂蝉を引き取った」とあります。つまり貂蝉は呂布の妾(しょう)になったわけで、ここで彼女は表舞台から姿を消します。ま、これでお終いにするほうが絶世の美女のためにはいいのかもしれません。しかし、歴史探偵を自称するわたくしはしつこく、容易に諦めずにねばっていたら、『演義』の第十六回、第十九回そして第二十回にちらりとその名が出てくるではありませんか。
呂布との間に、「貂蝉にも子が出来ず」(第十六回)とあり、呂布が曹操に攻められてヤケを起して討って出ようとすると貂蝉は「私のためを思って軽々しくお出ましになることはおやめ下さい」と泣いて頼む(第十九回)。そして第二十回では、呂布が戦死したあと、「曹操は呂布の妻子を許都へ送り」とあるのです。つまり貂蝉は、曹操に引きとられたらしい。
しかも、これが正史『三国志』の関羽伝の裴松之による「注」となると、関羽が貂蝉の美貌にぞっこんとなり、曹操に「私の妻にしたい」と再三再四頼みこむ。曹操はあまり関羽がくり返しくり返し「妻に妻に」というので、余程の美形なのかと思って貂蝉を呼び寄せる。そして彼女をみて、曹操はアッと叫んだ(とは書いてありませんが)、
「その美しさに惹かれてたちまちにわがものにしてしまった。このことは『魏氏春秋』にも見える」
と、ハッキリ書かれているのです。つまり貂蝉は曹操の妾になってどうやら長生きしたようなので、こうなると、この美女はその美貌を利して、あっちの男の妾となり、こっちの男の妾となりと、なかなかシタタカに乱世を生きた女になってしまって、あまり好ましくなくなってしまう。
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ということで、後世になると、わたくしが本書で語っているように、関羽が偃月刀(えんげつとう)をポトンと地面の彼女の影の上に落とした。なんと、それで貂蝉は声もなく地に倒れ、その首がころがった、という説話がつくられたようなのですね。美人はやっぱり不貞ぶてしく生きるよりも薄命のほうがよろしいのでしょうか。
そして今日の京劇には「月下に貂蝉を斬る」という演目がある。曹操が関羽を味方にひき入れようとして貂蝉を送ったところ、関羽は名月のもとに立つそのあまりの美しさに、これでは兄貴(劉備)も弟(張飛)も心を狂わされるにちがいない、董卓や呂布の二の舞いはゴメンだと思った。しかしその美しさがまぶしくて、斬れなくて目をそらせた。そのとき偃月刀がポトリと手から落ちた、というお話になっているのです。たしかに、こっちのほうが美人のはかなさがよく示されていて、よろしいようです。
で、ここでまた一句、
一生を悔いてせんなき月夜かな
なにか八十爺いの自分のことを詠んでいるみたいな句になりました。
いやはや、お粗末でした。
二〇一四年の年の暮
(「おまけのあとがき」より)
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