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エコノミストという危険な人種

エコノミストという危険な人種

文:松原 隆一郎 (東京大学教授)

『エコノミストは信用できるか』 (東谷暁 著)


ジャンル : #政治・経済・ビジネス

 ところで最近では、エコノミストの評価と称し、ランク付けを行う本が他にも出版されている。だがその内容は、評者の立場に近いものを褒め、遠いものを貶すといったものが大半だ。著名なエコノミストが評者なら、まともな読みをもとに客観評価が下されているはずだという先入観は通用しない。かつてアダム・スミスは、「立場の交換」が倫理の基礎を築くと述べた。自分の立場をいったん括弧に入れ、他人の立場や主張に耳を傾けよということだ。スミスの言い方にならえば、評価者には「立場の交換」を行いうるだけの読解力と寛容さ、潔癖さが求められるのだ。ところがそうした評価本に漂っているのは、とにかく自説や自陣営の正しさを主張するために他人は切って捨てて構わないとするさもしい心性である。そうした人々は、評価と称しながらなわばりを要求しているにすぎないのだ。その点東谷氏は、ジャーナリストとして、自説を最小限に抑える謙虚さを保っている。勝手な読替えではなく、当事者の過去の文章を極力引用するのである。

 結論が面白い。エコノミストが「一○兆円の財政出動」「二兆円の貨幣供給量の積み増し」「五年内の郵政民営化」というときの、一○兆円にも二兆円にも、五年にも、さしたる根拠はないというのだ。それでいて自説を押し出し他人を罵倒するについては、自信満々なのだ。経済はそれ以外の領域と結びつき、とりわけ社会心理の揺れによって変動するものである。ところが彼らは、心理を論じることじたいを避けるのが経済の専門家だという立場に固執するのである。ならば自信も湧くはずだ。教科書をいかによく理解しているかを競うにすぎないからだ。なんのことはない、文革時の中国人が毛沢東語録への忠実性を競い、他人の落ち度をあげつらって三角帽子をかぶせ断罪したのと同様なのだ。一般誌の編集者が座談会を企画すると、エコノミストたちの奇矯さに体調を崩すことも稀ではないと言われる。

 稲垣氏の名著は左翼全体主義者たちにとりついた傲慢さという「悪魔」を祓った。東谷氏もまた、エコノミストという人種の危険な小児性を祓っているのである。

エコノミストは信用できるか
東谷暁・著

定価:本体790円+税 発売日:2003年11月20日

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