一方の小倉日菜子(ひなこ)は、大学を卒業して以来、過疎の進む生まれ故郷の縹(はなだ)村を含むI県警の所轄署に勤務している。三歳年下でキャリア組の恭一と結婚し、自らも準キャリア候補生としての研修に入る予定もあった。公私共に順風満帆。しかし夫が思いがけず殉職したことをきっかけに、日菜子もまた道に迷いはじめていた。「未亡人」ではあるが、まだ自分は二十代。このままずっと他の男を愛さなかった女にはなりたくない。でも忘れられない、捨てられない。夫との記憶も、そして消滅の瀬戸際にある故郷も、と。
八話が収められた本書は、大枠で分類すればふたりの刑事の視点で交互に描かれる警察小説だ。元暴力団員を殴り殺し逃亡した被疑者の故郷でもある縹村を訪れた岳彦が、村の案内役を務めた日菜子と出会う「朱鷺(とき)の夢」。日菜子と同じ小学校出身で初恋の相手でもある男が開いた東京の居酒屋で、殺人容疑のある男の恋人を岳彦が逮捕する表題作。隅田川の傍で暮らしていたホームレス殺人事件(「渡れない橋」)も、ネットに犯行予告が出された東京の青山で発生した元警官の銃殺事件(「猫町の午後」)も、殺人事件などまず起こらない日菜子の管轄内で変死した独居老人をめぐる謎を描いた「夢の中の黄金」も、関係者の背景が丁寧に描かれ、それだけでも警察小説としての醍醐味を存分に味わうことができる。
しかし、本書の読みどころは、やはり時間と共に少しずつ変化していく岳彦と日菜子それぞれの心情描写にあると言えるだろう。東京と縹。日々変化しながらも生き続ける街と瀕死の状態にある村。対照的な場所で暮らす岳彦と日菜子が、互いにナビゲーターとなり、関係性を深めていく過程が、事件と同時にじっくりと綴られていく。その、もどかしいほどの歩みが、リアリティをもって胸に迫る。
悩み、苦しみ、葛藤した後に、岳彦と日菜子は互いに好意を抱いていることを認め合うが、その先に作者である柴田よしきは、ふたりに安易な「道」を示したりしない。
これは本書に限ったことではないが、作者は「大人」が一度背負った荷物を簡単に放り捨てたりなど出来ないことを、充分に承知しているのだ。でも、だけど。重い荷物を整理するコツも、分け合う方法も、同じくらい熟知していて、いつも小さな種を撒く。
俯かなければ見ることも叶わなかったその花は、岳彦と日菜子のみならず、迷える読者の活力にもなってくれるに違いない。
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