きみは赤ちゃん

第12回 いま、できることのすべて

文: 川上 未映子

 そりゃ、痛いのはいやだよ。いやだから高額省みず、こうして無痛分娩の産院に通っているんだよ、いるんだけど……わたしは帰りの道々、なんだか複雑な気持ちになってため息をついた。1ミリの子宮口が出産のときには「全開10センチ」になるんやで。普通分娩は、それにシラフで(シラフってのもあれだけど)耐えなあかんのやで……。

 しかし妊娠、出産とはなぜこんなに大変なのだろう。なぜこんなにも痛みに満ちているのだろう。わけがわからない。や、わけがわかりたいわけでもないのだけど、しかし。そんなふうに問うてもしょうがないことを思わずにはいられないほど、妊娠、出産はあまりにもしんどすぎる日々ではないか。個人差はあるだろうけれどの数ヶ月、たくさんの種類の痛み、しんどさをあじわい、そしてクライマックスには人間の最大の痛みである指の切断をはるか上回る出産の痛みが待っているのだ。そしてこんなこと言ってみたところでどうにもならないのだけど、男ってほんまに楽やな、とそう思わずにはいられないのだった。社会で働きつづけなければならないのはいまや女性もおなじであって。生んで、授乳して、すぐ復帰せねば、もう戻れなくなるのである。出産のダメージはいったいどれほどのものなのだろう。好きでやっていることとはいえ。望んでやっているすべてとはいえ。そして男性たち。からだには何の変化も痛みもないままに、彼らは、ある日とつぜん赤ちゃんに出会うのだなあ。射精からそこまで一直線なんだなあ。まあ、こればっかりはしょうがないけど、でも、なんとなく、ぼんやりと、そんなことを思うのだった。

 

  家に帰って夜ごはんを食べ、ソファに座って何でもない話をしているとき、ふと、自分があと2ヶ月で、今までとはまったく違う世界の違う生活を送る人間になるのだ、ということを、なぜなのか急に実感するような感じがあって、あ、と思った。「母になるのだ」とか、「親になるのだ」とかそんなふうには思わなかったけど、何かがほんとうに変わってしまうんだとそう思った。親や姉弟はいるし、そのつど影響を与えあってはきたけれど、でも当然のことながら基本的には、やはり「ひとり」を生きてきた、という実感があった。比較的、家族関係が深いわたしでさえ、そういう認識だったのだ。でも、これからは違うのだな。わたしの意志、わたしの都合で、生まれてくる誰かが、いるんだな。それがどんな性格をした、どんな人なのかはわからないし、厳密にいえば、わたしは「誰か」を生むかもしれないけれど、「その子」を生むわけではないわけなのだけど(このへんのこの実感、ちょっとややこしいけれど)、でも、わたしが生まなかったら始まらなかったものが、あと2ヶ月すると、始まってしまうのだ。そして、お互いに、もう後もどりはできないのだ。わたしは二度と、生まなかったことにはできないし、赤ちゃんのほうだって、生まれてこなかったことには、できないのだ。

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きみは赤ちゃん
川上未映子・著

定価:本体1,300円+税 発売日:2014年07月09日

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