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第2回 つわり

きみは赤ちゃん

川上未映子

きみは赤ちゃん

川上未映子

くわしく
見る

 このしんどさ、この気持ちわるさ、このものすごい絶体絶命感を、いったい何にたとえたらよいのだろう。ふつか酔い、船酔い……とにかく、何らかの酔い。こうしてみると酔いのレパートリーがあまりに貧しいわたしだけど、そして船ってあんまり乗ったことないけれど、つわり。これが聞きしに勝るおそろしさだった。いま思いだしても、震えがくるよ。

 朝起きて目を覚ますといちばんにやってくるのが「うぇっうぇっ」という、えずき。目をあけてみると、なんか天井がまわってる。何かの冗談であってほしいのだけれど、しかしこれが、完全にまわってるんである。

 い、いけるかな、とか思って何か口に入れては吐き、せ、せめて水でも、と思って含んでは吐き、何かをじっと見つめると、それだけでこう、こみあげてくるものがある。

 この吐き気には独特の味というか、感覚があって、わたしはそれを「すわっすわ」と呼んでいた。吐く直前に、胃から食道にかけて、こう、「すわっすわ」としかいいようのないものがやってきて、口のなかに、まさに「すわっすわ」としか呼びようのない味というか雰囲気というか、それがもういやーなあんばいでじゅわっとひろがってゆくのである。そしたらもうだめ。トイレへ直行。飲めるのは唾だけという状態。

「こんなんまじ異常やで」と、何度も胸のなかで声にならない声で叫び、立ちあがることもできないわたしは朝から夜までベッドで横になって、ただいつもおなじカーテンがぶらさがっているのをぼんやりとみているという日々をすごした。そんな状態で「もう少ししたら新刊のプロモーションが始まるんだよな……」(『すべて真夜中の恋人たち』という小説が刊行されるタイミングだったのです)とか思うとぞわりと寒気がして、こんな状態でサイン会とか取材とかって人間に可能なのかなあ、どうなんだろうかなあ、考えててもしょうがないよな、とりあえずやってみるしかないよなあ……というところでまた吐いて考えはストップ、のくりかえしだった。

 何も食べられないし、何も欲しくない。でも何か食べないと、すごくまずい気がする。  

 わたしはこの「すわっすわ」と、妊娠2ヶ月のおわりに相当する7週ごろから6ヶ月のだいたい20週までの4ヶ月ほど(妊娠してはじめて知ったのだけど、みんなあんまり「いま何ヶ月」というような言い方をしないのです。たぶん1ヶ月の中に、あまりに細かな変化があることもあって、「いま何週」という感じで、みんな話します。最後の生理がはじまった日が妊娠0週0日。だから、生理が1週間おくれて妊娠がわかった、なんてときにはすでに2ヶ月目に入ってる、っていう感じ)、生活をともにして、あべちゃんも無口になるほどの、本当に何もかもが土気色をしたような日々だった。

 

 けれどもすこしだけ気分のましな日は、あるいは、吐けるものはぜんぶ吐いたあとは、横になったままアイフォンをつるつると操作し、妊娠8週目の赤ちゃん、とか、12週目の赤ちゃん、とか、そのときどきの今にあてはまる画像を検索して、じいっと見てみる、なんてこともあった。いつも小さな驚きがあった。ほかには、つわりで苦しんでいる妊婦さんのブログを読んだりして、みんながんばってるなあと頼もしく感じたり。でも、すがるような思いでいつまでも、何度でも検索していたのは「つわり いつまで」というワード。つわりを終えたみんなが、ほんとうに眩しかった。みな、「霧が晴れるように、ある日、つわりは去っていた」というようなことを書いていて、わたしはそれだけを信じて、ただ横になっていた。この吐き気がある日とつぜん去ってくれるなんて想像もできなかったけれど。「つわり いつまで」というワードを、一日に何度検索したか、これもまたわからない。

 あと、この頃から出産まで、ずうっと頼りにしていた本があって、それは半年まえに妊娠した、おなじ妊婦である親友のミガンがプレゼントしてくれた『お腹の赤ちゃんの成長が毎日わかる! はじめての妊娠・出産 安心マタニティブック』(永岡書店)と言うもの。そのいわゆる「妊娠・虎の巻」には、出産までのおなかの中の赤ん坊の毎日の様子、母親の心身の変化について、そして、そのときどきに気をつけることなどなどがことこまかに書かれていて、それらをひとつひとつ、だいじに読んだのだった。

 たとえば、8週と4日、45日目のらんには、<今日中にはまぶたが現れるでしょう>と書いてあり、また翌日の、8週と5日目、46日目のらんには、<ティースプーン5分の1の水とおなじ重さです>などなど、いろいろな角度で一日一日の変化を追ってくれて、自分のからだのことなのに、どうしたって知りえない、おなかの中のこまかな変化をおしえてくれるのだ。

 ほかには、<赤ちゃんの腕は、水かき状のものから、船の櫂のような形に変化します。今週中には手足の骨を包む筋肉が現れ、手足に神経ができてきます(6週と3日、31日目)>や、<ママの子宮はこぶりのグレープフルーツほどの大きさになっています。今週の終わりまでには約30mlの羊水に赤ちゃんが浮かぶようになります(10週と2日、58日目)>とか、<赤ちゃんはいま、先週に比べて体重は2倍の13g、身長は50~61mm にまで成長しました。口の固い骨状の部分が完成します>とか。

 出産までの毎日が、こんなふうにやさしく、またきめ細かに綴られており、たびたび吐き気におそわれてトイレにかけこむだけの、いつまでこれつづくねんとつっこむ気力すらもうどこにもないうっそうとした日々に、手がかりというか、目標というか……とにかく、今はこんなだけれども、自分は今たしかにどこかにむかっているのだ、その途中なんだ、ということを思いださせてくれるというか……。まだ吐き気以外の実感がなくて、病気となんら変わりのない日々をすごしながら、こんなことがおなかの中で起きている、なんてうまく信じられないけれど、しかしとても具体的なことを知ることによって、すこしずつ、すごく、励まされていたような気がする。

 

 ところで、子どものころによく読んだ絵本とか、物語の中に、はっきりとした病気じゃないんだけど寝たきりになっているおばあさん、みたいな人ってよく登場したように思いませんか。わたしは、あのおばあさんたちのおかれた状態がどういうものなのか、当然かもしれないけれど、よくわかっていなかった。そう。歩けなくなる、とか、起きあがれなくなる、とか、食べられなくなる、とか。いわゆる老衰と呼ばれるものなんだろうけれど、そういう状態が、いったいどういう状態なのか、想像したこともなかったのだと思う。

 

 でも、つわりの状態に長くいて、来る日も来る日も天井とか壁とかカーテンをぼんやり眺めていると「ああ、あれは、こういうことだったのかもしれないなあ」と、ふと、理解できるような気がした。意識はまだはっきりしてるのに、からだがぜんぜん動かない。食べたいのに、食べられない。腰はちょっとした床ずれを起こしていて、姿勢をかえるのもままならない。そしてただただ、気持ちが冴えなくて、どんどん気が弱くなっていって、コミュニケイションといえば、もう、ちょっと笑う、とかしか、できないんだよね。そして、あと20年もたたないでやってくるはずの更年期障害っていうのも、きっと、こういう系統のしんどさなんだろうな、とも思った。

 女の人は、それこそ小学生の頃から<からだ>というものを、主体的にも、あるいは客体的としても意識せざるをえない宿命にあるけれど、それはこうやってずうっとつづいてきたし、これからもつづいていくんだな、とぼんやり思った。そして、こういった種類のしんどさは、やっぱり体験してみるまではわからないものなのだ、とも。

 つわりのしんどさをつうじて、わたしは更年期障害や、老衰、というものを垣間見たような気がしたけれど、でも本当のそれらはきっともっと違うしんどさに満ちているんだろうと思う。でも、このからだの変化をつうじて、いくつかしんみり理解できたこともあるような気もする

 ひとつは、「人のしんどさ」っていうのは、からだで起きている以上、当人にしかわからないものなんだなっていうあたりまえのこと。

 しかし、それを経験したことがあれば、思いやりをもって接することができるはずだということ。

 横たわりながら、吐きながら、あべちゃんにお願いして買ってきてもらったすいかをひとくち食べて、やっぱりそれも吐きながら、そんなことを考えていた。そして、しんどさとはべつに、やっぱり未来にむかって明るく光ってみせるものが自分のからだに起きている、ということを思えば、不思議なもので、じわじわちからが湧いてもくるのだった。この時期をお互いにのりこえよう、母はけっこうまじで限界近いけど、でも無事に大きくなあれ、とおなかの赤ん坊に呼びかけたいのだけど、まだあまりに実感がないので面映く、おなかに手をのせて、念じるだけで精一杯なのだった。

文春文庫
きみは赤ちゃん
川上未映子

定価:792円(税込)発売日:2017年05月10日

電子書籍
きみは赤ちゃん
川上未映子

発売日:2017年05月19日

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