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第13回 乳首、体毛、おっぱい、そばかす、その他の報告

きみは赤ちゃん

川上未映子

きみは赤ちゃん

川上未映子

くわしく
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 2012年春。4月。いよいよ、というか、とうとう、というか。 出産まで一ヶ月という段になって、お腹が急激に大きくなり、その大きくなるさまは、自分のからだとはいえ、ちょっとひいてしまうほどであった。「最後の追い込みが、きっついで」とこれもまた何度も耳にしていたことではあったけれど、じっさい体験してみると、知識と実践のギャップは今回もやっぱりすごかった。赤ちゃんの位置が明らかにぼこんと下にさがり、そして前のほうににゅうんとせりだして、横向きになって鏡でみると、もう、何かの間違いというか、ギャグというか一発芸というか、スヌーピーの横顔みたいなんである。

 

「この大きさまじでウケる」

「やっばこれって見れば見るほど超ウケるよな、あべちゃんこの大きさ見てみてすごない超ウケる、意味不明すぎて」

「見て見てこれこの角度、ふだん卵大の子宮がこんな大きさになってんのってアハハハどれくらいまじって超ウケる」

 気がつけば鏡を見ながら妙なテンションになっていて、黙ってあいづちをうつあべちゃんに、最初から最後までウケるとしか発言していないのだけれど、そのテンションとはうらはらに、見れば見るほど頭の中のどこかが白~くぼやけてゆくような恐怖もあって、それを直視するのがこわかった。それは「アハッハ、なんて笑ってるけどおまえさん。このお腹に入ってるものは、必ず出さねばならないのだよ。しかもあんな小さなところから。一ヶ月もしたら。嘘でも冗談でもなんでもなくってね!」という、宣告というか、事実というか。

 それは暫定的ではあるけれど、予定日というのが決定した、というのもおおいに関係があったと思う。

 日にちが決まるって、容赦ないよね。お腹の赤ちゃんはこのころで推定2300g~2400g(2週間ほどまえの検診で、ちょっと体重の伸び悩みの時期というのもあって落ち込み、大いに悩んだわけなのだけど、これには誤差もあるから心配しないでいいと言い聞かせて乗り切った)という大きさで、一ヶ月というのは、なかなかにリアリティのある数字だった。あっとうまだ。ほんとうに、その日がやってくるのだな。

 この頃、出産&育児体験者に会うと、

「今も大変だろうけれど、生んでからはね、やっぱまた大変だよ!」とか「お腹のなかにもどってくれって、思うよ~!」とか、「寝れないからね~、かけがえのない今の時間を、大切にしてね」といった話を笑いとともにきく機会がふえてきたのだけれど、「うん、きっとそうだよね」とは思いつつ、でもやっぱりこの臨月のしんどさを生きるのに精一杯で、どこかぴんとこなかったというか、線がいっぽんひかれているというか、わたしの感想は、そんなだった。みんなけっこう笑ってるし。

 でも、結論から言って、妊娠の一年の苦労と、出産を経て育児の一年の苦労は、比較するのも無理というか、これもう、ま じ で 次 元 が 違 っ た よ 。ほんとうに、次元が違ったんだよ……(これについては今後じっくり&ゆっくりな)。

 臨月のわたしは、そんなこと知るべくもなかったわけだけど、でもそれはなんだか神様からの妊娠期間の最後のギフトというか、そんなだったのかもしれない。これから味わうつらさ、しんどさのまえの、ひとときの甘いごほうびだったのかもしれない。「何も考えず、ぼんやりしてろよ、そういうのこれが最後だから……」っていう、そういうあれだったのかもしれない。とにかく頭もいい感じにぼーっとしていて、穏やかで、ときおりぐわっと真実味のある恐怖がおそってくることはあったけれど、それをのぞけばどんどん鈍くなってきており、干し芋なんかをくちゃくちゃベッドで息をするように食べながら、あまりにも頭がほんわかするので、「脳からなんか、そういう物質がでてるんやないやろか、ほえほえ」とさえ思うほどだった。こういう面も含めて、人というのは出産の準備に入ってゆくものなのかもともなってう、と、ぼんやり感心したりなどして。

 

 さて、これまで妊娠生活の色々なことをたくさん書いたような、あるいは、まだまだぜ~んぜん、書き足らないような、そんな気持ちでいるのだけれど、でも、妊娠中の色々について──体のことも書いたけれど、とくにそれにともなって変化してゆく、精神や気分や心境についてが、やっぱり多かったように思う。けれども妊娠はやっぱり体の中で起きる一大事であって、ここで、わたしの体がこの妊娠期間中にどれくらい変わったか! ということをいちおう書いておこっかなーと思う。

 

 

 まず体重。

 M医院が「痩せ妊婦、推奨」ではなかったことも大きいけれど、けっきょく臨月の時点で12キロ増というあんばいに。わたしはすこぶる着痩せする体質なので、ふだんから体重が3キロとか5キロ増えても、あんまり太ったように思われないのだけれど、今回もそれはそうだった。後ろから声をかけられて前をむくとぎょっとされる、というのがけっこう長く、臨月間近になってやっと「それ相応」感がでてきたみたい。その頃はもちろん、お尻は四角。大きくなった輪郭は鏡餅感にみなぎり、全体としてはまるでキティ・ホーク、空母感ばりばりなのやった。

 そして、体毛。

 わたしは髪の毛はものすごーく多いのだけれど、体毛は少ないほうで、たとえばわきの永久脱毛などは一年12回は最低通わなければならないところを、3回で終わったというそういう感じ。しかし。この妊娠中は、体中の毛がどんどん濃くなり、おなかの、おへその少しうえあたりに、うっすらと毛が渦巻いているのを発見したときは、「オウ……」と妙な声が出たものだった。そしてまさかのわきの毛の復活。なんと、再生したというか、眠れる毛根が「目覚めよ!」と呼び起こされたというか(何のために?)、とにかくまたまた生えてきたのだった。ああ、ホルモンって、偉大やね。わたしら、ホルモンの奴隷やね。気分も体も、ホルモン様のいいなりやね……。そんなことを思いしらされた一年弱だったなあ。

 そして、肌。

 しみ、そばかす、といったトラブルはこれまでほとんどなかったわたしだけれど、妊娠中はまじでおそろしかった。でるわでるわで一気に顔の全体に茶色いしみが浮きはじめて、すでにあったほくろは濃くなり、うっすらとした奥ゆかしいといってもよいほど小さな点でしかなかったそんなほくろたちが、日に日に成長して、幾つかはつまめるほどの立体&大きさになったときにはええええええええと声を出して驚いた。首にも細かなほくろが増えて、まるで墨汁を口に含んで「ぷっ」と吹かれたようなそんな感じ。ほくろ、といえば、なんかかわゆい感じもするけれど、じっさいは「いぼ」と「しみ」をかけあわせた「いぼじみ」みたいなあれで、これがもう、「加齢」しか思い起こさせないような代物なのである。へこんだわあ……。そういうのがあちこちに出現して、いわゆる「しきちん」(色素沈着ね)がいたるところに勃発して、わきとか、首とか、そういう皮膚がこすれるところのメラニンが北斗の拳の雑魚キャラよろしくヒャッホウ! ってな感じに跋扈してさ、もうこれまでささやかながらに投資&実践してきた美容のあれこれがきれいあっさり全なしになって吹き飛ばされた、これもまたそんな一年弱であったよなあ(しみじみ)。

 

 そして、おっばい&乳首。

 これには素直に「いい夢みさせてくれてありがとうな……」とひとこと感謝したい気持ちが正直、ないでもないのよね。というか、普通にあるよ。というのも、まあよく聞く話ではあるけれど……ほんとーーーーに巨乳になるんだよねっ!! まっすぐに立つだけで腕の内側に胸のあたる感触があり、縦にも横にも自信満々というか、どこに出しても恥ずかしくない、名実ともにすごいおっぱい、というのを味わわせてもらったような気がする……。これまでは概念でしかなかった「下乳」というものが我が身に確認できた、あの感じ。どこからみても完全な、寄せる必要のない「これがおわん型というものか!」と感嘆せずにはいられないようなそんなおっぱい(そのぶんお腹も大きいのだが)。おっぱいだけみれば、史上最高の輪郭で、「胸が重くってしんどい~♡」とか、生まれて初めて言えた、あの感じ……わたし、忘れないと思うナ。

 しかし、そんな夢のようなおっぱいを現実に引き戻すのが乳首であって、これが大変に疎ましかった。おっぱいの第一義が授乳である以上、それに耐えるために色を濃くして待機するのはしょうがないし、摂理だし、それについても散々、みんなから聞いて相当の覚悟もしていたのだけれど、やはり日に日に色素が濃くなり、快調にそれが沈着してゆく乳首を見ていると、「オウ……」と思わず悲観の声を漏らさずにはいられなかった。いつもはどちらかというと、おしとやかななベージュ・ピンクに身を包み、いい意味でコンサバティブな装いでいつだってそこに伏目がちに佇んでいたのに、最近になって何があったのか雰囲気ががらっと変わり、気がつけば、なんかハードな音楽ががんがん鳴って、ボンテージファッションに開眼して全身隙なくぴっちぴちのきっちきちの黒、真っ黒、めっさ黒、ぜんぶ黒みたいなそんなあんばいになっており、心なしかちょっと攻撃的な感じすらあって、「わ、我が娘はどうしてこうなった」みたいな嘆きと驚きが、「おふろ入ろっかな♪」と思って脱衣した瞬間、「!!!!!」みたいな感じで不意に襲ってくるんである。乳首が、目に飛びこんでくるんである。これがたいへんにぎょっとするもので、いつまでも慣れないんである! ……わたしは拙作「乳と卵」で、妊娠中の乳首の色について、「アメリッカンチェリー色」と、「これ以上はない、深みのある、真実の、黒」という自負をもって、内心では「どやぁ……」感、満載でノリノリで描写したことがあるけれど、いま、当時の自分の想像力のなさ、あるいはリサーチ不足を、謹んでお詫びしたいと思う。じっさいは、そんなんじゃなかった。アメリッカンチェリーなんて、まだぜんぜん黒じゃなかった。チェリーとかじゃなかった。妊娠中の乳首はね、液晶テレビの黒だったよ。電源を落としてるときの、液晶テレビの画面の黒、だったよ……。

 

  そんなふうな、ほとんど泣き笑いのような「!!!!!」の連続だった体の変化だけれども、でもこれって基本的に、みんなそうだからね……女性一般に対してあるかもしれない幻想を土足で踏み散らして申し訳ないけれど、どんな若い子だって、可愛い子だって、程度の差こそあれ、みんなこうなるんだからね……お腹の赤ちゃんにビタミンやカルシウムをどんどんとられて、奥歯がぜんぶ虫歯になる人だって、本当に多いのだからね……もう、見た目も中身も、命がけやで。

 しかし、悲しいことばかりではなかった。妊娠中は、しみ、そばかす、ほくろが大量発生したことはしたけれど、しかし、肌の状態は、これまで生きてきたなかで、い ち ば ん 素晴らしい状態をキープしつづけて、なんというか、ぴかぴかだった。わたしは若い頃からチョコレートやポテトチップスといったお菓子を食べると、あごのあたりにてきめんににきびが出たり、大人になってからもぶわっと吹き出物が出ていたのだけれど、妊娠してからは何をどれだけ食べようと、なんにも一切、でなかったのである。これは出産が終わってからも持続していて、なんか、肌質がそっくり入れ替わったのかと思えるくらい、肌はいつもつるつるぴかぴかで快適であった。しかしもちろんこれも、人によってケースがあって、たとえばわたしの姉の場合は、ふだんつるっとした肌なのに、ほんとうにデコポンの果皮のようになってしまって、大変に苦労していたのを覚えてる(生んだらすぐに治ったけれど)。

 そんなふうにさまざまな変化を観察しながら、「パイの実」を連続で4箱とか食べながら生活していた2012年の春。4月もそろそろ終わりに入り、ゴールデンウイークをまたぎ、そして5月も半ば。いよいよ。出産が目前、というところまでやってきた。

 週数的にはもう、いつ産気づいてもオッケー、みたいな時期に入っており、しかし検診ではまだ子宮口がかたいままでまったく開いていないので、階段の昇り降り、雑巾がけ、ってなことをひととおりやって過ごしたりした(エアロビも、最後の1ヶ月はがんばった)。40週での出産を目標に、「降りてこい、降りてこい」と念じながら、のっしのっしと、下半身を動かしていた。仕事は連載原稿を来る日も来る日も前倒しで書きつづけ、小説をやり、ゲラをかえし、もう自分がいま何のどんな原稿を書いているのかも、わからないようなそんなあんばいであるのだった。

 ある夜、「ああ、ほんとうにわたし、赤ちゃんを生むんだな。これで、あべちゃんとふたりの生活も、ほんとにほんとに終わるんだな。それも、今週末には」と、眠れない夜、真っ暗な天井をみつめながらそう思うと、「 今 週 末 」というのがてきめんにどこかに効いてしまったようで、発作的に胸がどっどっと高鳴り、いてもたってもいられなくなってベッドからがばっと体を起こし、わああああああっと取り乱して泣いてしまった。驚いて飛び起きたあべちゃんに話にもならない混乱をぶちまけ、言葉にならない嗚咽をふくめ、胸にあることを長い時間をかけてきいてもらった(何回目だよ)。あべちゃんは半分白目のまま辛抱強く話しをきき、どの問いかけ、発露にも、全方位に適応してくれ、最後はなぜか、おっぱいパブとおしりパブの話になって、元気になって寝た。そして、久々にたっぷり泣いて、どんどん落ち着きを取り戻し、すーっとした気持ちですやすや眠りにつくことができたのだけど……そのときのわたしはもちろん、翌日、破水をしてそのまま入院&予測していなかった怒涛の出産に突入することなど、知る由もないのだった。

文春文庫
きみは赤ちゃん
川上未映子

定価:792円(税込)発売日:2017年05月10日

電子書籍
きみは赤ちゃん
川上未映子

発売日:2017年05月19日

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