書評

『円卓』解説

文: 津村 記久子 (作家)

『円卓』(西加奈子 著)

 本書の視点人物は、まずは小学三年生の渦原琴子であるのだけれども、彼女が立ち会っていない物事も、まるで子供が見てきたかのように描かれる。たとえば、琴子の三つ子の姉の一人である朋美の部活動の様子や、祖父石太の思考やその妻紙子とのやりとりなどの剥き出しのソリッドさは、子供のあけすけさに通じるものがある。主人公の琴子自身がどう感じるか以上に、作品を支配しているのは子供の感性なのだ。

 わたしにとって、『円卓』の世界を象徴するような場面がある。琴子の三つ子の姉の一人である理子の恋人、男子バスケットボール部の「怖なるくらい阿呆」な森上が渦原家に来た時のことだ。円卓を見て「めっちゃ円卓ですやん。」と言う森上を、祖父の石太は「精神性がやかましい上に、あかん穴が阿呆ほど空いて。」と評して理子に説くのだが、理子は「せやろー。でも顔がー。」とどこ吹く風で応じる。森上がやってきた場に同席していた琴子の友人のぽっさんは、森上は琴子と三つ子の父親の寛太に似ている、と琴子に耳打ちをし、「れ、歴史は、く、繰り返すんや」と言う。石太は、賢いぽっさんのことだけは認めている。

 世界には阿呆も思慮もある。どちらも分け隔てなく世界は受容する。思慮に偏ることも、阿呆こそが正義と開き直ることも、この作品は良しとせず、優劣をつけない。そのままのバランスの美しさを、それらが融合する場所の幸福こそを、本書は描くのである。このフェアさそのものが芸になっている筆致は、子供が自分の目にしたものすべてをゼロから解釈していく様に似ている。しかし、それを言葉としてアウトプットする手付きは非常に戦略的である。たとえば、以下のような文章は、センスがあるだけでは書けない。夏休みを過ごす琴子の心の様子についての文章である。

「思いはたくさん、あふれるほど胸をつくのだが、それを言い表す言葉を見つけられなかった。というより、言葉を発する瞬間に、わずかな重力を感じるようになった。何か言いたいことがあっても、その重力のため、口が簡単に開かなくなったのである。重力から解放される場所にたどりつくまで言葉を探すのだが、大概は、それを探し当てる頃には、もう遅かった。」

 膝を打つ。本当にこんな感じだったように思う。ただ、子供自身はおそらく、言葉を発したい対象についてはどうとでも言えるけれども、言葉を発する自分の状態については無意識であると思われるので、これは歴とした、考え抜く大人の文章なのだ。それにしても、この「重力」に関する解釈は秀逸で、すばらしいと思う。

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円卓
西 加奈子・著

定価:470円+税 発売日:2013年10月10日

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