映画『ディア・ドクター』では「偽医者」が、『夢売るふたり』では「結婚詐欺」が題材になっていることからも、騙ること、がこの人の大きな関心事であることが窺える。ホンモノとは何なのか、という問いの答えをよりわからなくするために西川作品はある、と言ったら言い過ぎかもしれないが、少なくともホンモノとニセモノの線引きを強化するために作品が作られているのでないことは間違いない。
『永い言い訳』は、すでに取り返しようもなく関係の損なわれている夫婦と、それこそトルストイが「幸せな家族」と呼びそうな四人家族、その二組からそれぞれ妻=母が失われるところから物語は動き出す。衣笠家と、大宮家。母親のいなくなった大宮家に、あたかも母親の代理のように衣笠幸夫が通いはじめ、大宮家の(そしてもっと重要なことに、幸夫自身の)再生が図られるなか、かつての幸せな大宮家像は、あたかも到達すべき目標のように彼らのまわりに漂っている。
この目標は、どこまで達成されるのか。それが、この作品を読む上での最大の論点だろう。
地面から吹き出す細い噴水の柱の間を、通り抜けてはずぶ濡れになって喜んでいる灯の笑顔がまぶしい。夏中勉強に明け暮れて、他の子供たちよりも肌色の薄い真平もまるで、いくつか幼くなったように、白い歯を見せて喜んでいる。誰にどんな茶々を入れられようと、自分には今この強固なつながりがある。陽一にとってそうである以上に、このちいさな友人たちにとっても自分の存在が命綱であるということが、何よりも幸夫を勇気づけた。他人からの毀誉褒貶(きよほうへん)ばかりを気にかけてきたこの十数年には手にしたことのない感覚だった。もうこのまま世間から忘れられてもかまわないとさえ思えた。(二六一ページ)
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おむつもとれない年の子じゃなし、週に一回や二回、一緒に留守番したくらいで、何を鬼の首を取ったみたいに。こういう職種の人らは、入り江の浅瀬で水遊びをしただけで、すぐに海を語る。充足感と変な高揚感にあふれた津村の表情が寒々しくて見ていられない。あんたにとってその家族って、一体何なんだ。同じ境遇で家族を亡くした者同士が、お互いの心に空いた穴を埋め合うように共存しながら再生し始めた、というおはなしか。ほんとかよ。僕にはどうも一方的なんじゃないかという気がするね。(一九三―九四ページ)
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