「現実」とは、まったくなんの捉えどころもなく、ただ錯雑と私たちの前に投げ出されており、どこからでもどのようにでも入っていけるもので、それだけに私たちをいつも戸惑わせるものです。小説は、その複雑な現実を過度に単純化することなく、それでも入口の場所くらいは提示しつつ展開されるものです。言ってみれば小説は鉄道路線のようなものかもしれません。皆目見当もつかない自分自身の人生と比べれば、路線は線と駅とは定まっています。
本書の場合、一章一章が異なる登場人物の立場から描かれ、最終的に一つの大きな図が浮かび上がる、という点では、一章を一本の路線とした路線図のようだとも言えるかもしれません。それも東京近郊のようなかなり込み入った路線図です。
しかし、あまたある路線の中でも、やはり丸川は輝いています。それは彼の路線が最も堅固であり、それは彼がたしかに終着駅(ターミナル)を持っている人間だからです。
もちろん彼自身は町どころか国を離れて活躍する人材となりました。しかし、必ず帰って来ると自ら宣言したとおり、丸川はこの町、この駅を自らの終着駅と考えています。
思えば「終着駅(ターミナル)」とは必ずしもよい響きのことばではありません。「終末医療(ターミナルケア)」と言えば、もう絶対に助かる見込みのない患者をいかに安らかに逝かせるか、ということを求める医学です。「ターミナルタウン」には、そこが「終着駅」の町だというだけでなく、たしかに「終末」のイメージが濃くまとわりついていました。
ですが、寿命のある人間と違い、町はそれを守ろうとする人たちのいるかぎり、「終末」を迎えずにすみます。静ヶ原は丸川にとって帰るべき「終着駅」ではあっても「終末」の町ではありません。「ふるさと」を「帰るところにあるまじや」と歌った室生犀星とは異なり、丸川は町が再び「終末」を迎えそうになったら、必ずここに帰って来るでしょう。
でも、私も含め、今の多くの人にはそもそも故郷と呼べる場所がないかもしれません。たとえそうだとしても、自分にとっての「ターミナルタウン」はきっと見つかります。それは文字通りの町ではないかもしれません。ただ、自分にとっての最終目的地、そしてそれを守るために身を捧げることのできるもの。それは私たちにとっての未来の故郷ともいうべきものです。そこだけを目指してひた走る人生は「レールの上の人生」かもしれませんが、それでも、鉄道と同じように美しい生きざまなのではないでしょうか。
ここでは、いわば「丸川線」に乗って、その車窓から見える「ターミナルタウン」を読んでみました。それはこの作品を人生のドラマとして見る見方です。
ですが、先にも触れたように、他の路線から見る見方もたくさんありえます。謎解きミステリーとして、SFとして、現代政治の寓話として……。別の線に乗り換える自由はもちろん私たち読者のものです。
ただ、こうしたさまざまな路線、さまざまな登場人物の一人ひとりを各章の主人公として全体を編み上げる作者の手腕は見事というしかありません。いささかの狂いもなく複雑な鉄道の運行を成し遂げる作者の頭の中には、どれほど壮大かつ精密な路線図とダイヤが仕込まれているのでしょうか。もしかしたら「時刻表鉄」なのかもしれませんね。
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