たとえば、「清と濁」では、まず、
世の中は澄むと濁るで大違い
刷毛(はけ)に毛があり、禿(はげ)に毛がなし
世の中は澄むと濁るで大違い
福に徳あり 河豚(ふぐ)に毒あり
などを挙げたあと、
世の中は澄むと濁るのちがいにて、キスは甘いし、疵(きず)は痛いし(阿刀田高)
を紹介し、最後に、かつて日本に野球が生まれたばかりのころ、旧制第一高等学校が外国人チームと対戦したとき、前日が雨だったが上がったから、外人クラブから一高へ電報が届いた。「シアイデキル、スグコイ」。ところが追って二通目の電報が来た。
〈文面〉 ナンジニクルカ
〈意味〉 何時に来るか
〈誤解〉 汝(なんじ)、逃ぐるか
これを読んで一高勢は憤慨したという。しめくくりの著者のコメントにこうある。 「『汝、逃ぐるか』の声を背に浴びつつ、安倍晋三さん、福田康夫さんが二代つづけて政権を投げ出した。麻生太郎さんは投げ出さなかったが、ソウリダイジン(総理大臣)からソウリタイジン(総理退陣)に追い込まれた。政界もこのところ、澄むと濁るで大違いの様相を呈している。いまの人はどうだろう。日本再生という有権者のセツボウ(切望)がゼツボウ(絶望)に、キボウ(希望)がキホウ(気泡)のあぶくに変わらないことを祈る」
博引旁証というのとはすこし違う。たいへんな知識と資料をうまく使いこなして新しいおもしろさを組み立てている。凡手のよくするところではない。
それにしても「名文どろぼう」とはしゃれている。よほどの自信がなくてはつけられない。こちらもどろぼうになりたい。