書評

コミュニケーションの未来を描く物語

文: 福田 和代 (作家)

『バベル』 (福田和代 著)

 もうひとつのきっかけは、子どもの頃に読んだ外国のエピソードだった。厳格な教師だった女性が、脳に傷を負ったのをきっかけに、何を喋ろうとしても卑猥語に変換されてしまうようになったという。たとえば、

「お茶をいかがですか」

 と本人は言いたいだけなのに、口に出すと伏せ字にしかできない(!)ような言葉を喋りだすのだ。今なら精神的な抑圧の反動ではないかとも推測できるが、当時の私は、言語機能を司る脳の一部分は言葉を変換することがあるらしい――と考えたのだった。

 ふたつのエピソードは私のなかで化学変化を起こし、いつしかひとつのアイデアに形を変えた。もしも、感染すると言葉を失うウイルスが発生し、爆発的に感染流行すると何が起きるだろう。人口の何割かが言語を失ったなら――。言葉を失うという恐怖に、人間は耐えられないに違いない。ひとつの文化、いや文明の終わりを意味するのも同然だ。感染爆発に抵抗して文明を守るため、小説のなかの登場人物たちは、感染者と非感染者の〈住み分け〉を検討する。非感染者だけが住む街を、丈高い〈長城〉でぐるりと取り囲んで居住地域を分けてしまうのだ。ワクチン開発に力を注ぐ科学者と、その裏で進行するある陰謀――。

人類が、言語を失うとき

 最初に全体のアイデアが浮かんだのは、二十年近く昔のことだった。プロの小説家になるずっと前で、面白いストーリーになりそうだと思ったが、百枚ほど書いて筆を止めた。その頃の自分の筆力では、アイデアを充分に昇華させる力がないと思ったので、封印して温存することにした。

 そろそろ「あれ」を出してもいいかな、と感じたのは、文藝春秋社の担当編集者氏と、何を書くかの相談を始めた時だ。

「それを小説でやるんですか。言葉しか使えない小説で、言葉が通じなくなる話を書くんですか」

 無謀でしょうかねえと応じつつ、なんとなく面白いものができそうな手ごたえも感じていた。

 誰かと意思を通じることは難しい。もしも、誰もが100パーセントの理解を得られるなら、世の中にこれほど多くの小説が生まれて、孤独や無理解を歌いあげていないにちがいない。逆に言えば、人間とはそれほど他者の理解に飢えた生き物なのだ。

 どうか私を理解して――

 人類は必死の思いで、操りにくい言葉を操り、訴えてきた。

 その人類が、言語を失うとき。

 これは、コミュニケーションの未来を描く物語だ。

バベル
福田和代・著

定価:1,700円+税 発売日:2014年03月25日

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