去年の夏、ルイが死んだ。夏にかかるや衰えがひどくなり、散歩していてもぺたりとへたるようになり、持っていた買い物袋に入れて連れて帰ってきたりした。やがてわたしは仕事で日本に出かけた。日々、サラ子やトメからメールが入り、ルイの様子を伝えてきた。そしてとうとう「死んじゃったよ」という短いメールが悲鳴のように来た。
日本から連れてきて、ほぼ二年間、カリフォルニアで犬の暮らしを生き抜いた。死ぬ十日ほど前、今から日本に出かけるというとき、もう眠ってばかりいたルイが、ふいと戸口まで出てきて、私を見上げた。その表情が忘れられない。
日本から帰ってきたら、ニコだけになっていた。そしてそのままずっとふたりで日々歩きまわった。老い果てたタケも足弱のルイもいないから、ほんとによく歩いた。歩きまわるのは公園や荒れ地や海辺だったけれども、私としては山や森をどこまでも歩いてるような気がした。ニコはよくついてきた。パピヨンの姿はしてるが、若い頃のタケのように、精悍に、忠実に、私についてきた。それでもどこか心の奥底で、私は、もう一度大きい犬を、できるならばタケのような性格と能力を持った犬を飼いたいと思っていたのである。
日々は過ぎ、状況も刻々変わり。
今、私の部屋の中にクレートが一つ置いてある。タケが仔犬の頃に使っていたやつだ。中では一匹のジャーマン・シェパードが寝息を立てている。人間でいえば思春期の少年くらいの、若い雄である。名前はクレイマー。昨日、ジャーマン・シェパード救済センターに行ってもらってきた。まだ懐いてないから家の中でもリードを離さない。救済センターに保護される前には、仔犬ながら苦労をしてきたらしく、おどおどびくびくするのをやめない。でもそんなのは、三か月もすれば、きっとなくなる。家の中で、リードなしで、私の後をついてまわるようになる。そしてきっと、十五年いっしょに暮らす。わたしはこの犬が老いて死ぬのを見届ける。私の部屋はたちまち犬臭くなった。元通りだ。群れの中ですぐ下手に出てしまうニコは、ボールも居場所も水飲み場も、何もかも譲りながら、迷惑そうな顔で新参者を見ている。
こうして『犬心』は文庫になり、装幀は菊地信義さん、絵はMAYA MAXXさんのまま、名犬スピンクを飼う町田康さんに解説をいただいた。こんなうれしいことはない。
二〇一五年十二月伊藤比呂美
(「文庫版のためのあとがき」より)