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これは“正義”か“テロ”か。その境界に迫る傑作歴史長編。

これは“正義”か“テロ”か。その境界に迫る傑作歴史長編。

文:末國 善己 (文芸評論家)

『みちのく忠臣蔵』 (梶よう子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 物語は、日本橋に弘前藩を弾劾する高札を掲げ、切腹して果てた男の死体が見つかるところから始まる。男の正体は、元盛岡藩士の下斗米秀之進将真だという。

 直参旗本一千石だった祖父が不始末でお役御免となり、それ以来、無役の神木家に生まれた光一郎は、なぜか一千石が安堵され生活に困らないこともあり、猟官活動に熱心な父とは裏腹に、全国の地誌を読み、切絵図を片手に江戸の町を散策するのが趣味のお気楽な毎日を送っていた。時折する仕事といえば、御家人だが少年時代からの友人で、一刀流の川添道場で師範代を務める村越重吾と、大名家や商家に頼まれてトラブルを解決している元鳥取藩主・松平冠山の手助けをするくらいである。

 光一郎と重吾は、冠山の依頼で、わがままで謝ることを知らない京極備中守の娘・八重姫に、あっと驚く方法でお灸をすえたのに続き、鳥取藩の藩士二名と出入りの商家の番頭が、蝦夷地へ向かったまま行方不明になった事件を調べることになる。

 冠山は、蝦夷地の交易を請け負う西野屋に三人の行方を聞くが、明確な回答はなかった。しかも西野屋は、鳥取藩に取り引きの中止を通告するのである。西野屋は、弘前藩と結んで露西亜と密貿易をしているとの噂があり、弘前藩が幕府と朝廷を相手に行った政治工作の資金は、その密貿易の利益ともいわれていた。冠山は、西野屋との直接交渉に乗り出すが、その矢先、長刀を持ち、奇妙な足遣いをする暗殺者に襲撃されてしまう。暗殺者は、手だれの重吾が傷を負わされるほどの達人だったのである。

 六年前、光一郎と重吾は、盛岡藩士の大作と共に、川に飛び込んで心中をはかった若い男女を救ったことがある。大作の宿敵ともいうべき弘前藩の陰謀を耳にした頃、光一郎たちは大作と再会、否応なく大作の進める計画に巻き込まれていくことになる。

 弘前藩は、違法な密貿易で莫大な利益をあげ、金儲けを邪魔する人間は平然と命を奪う。これは封建体制下の特殊事情に思えるかもしれないが、そのような判断は早計に過ぎる。一九九〇年代半ば、バブル崩壊で長い不況に陥った日本企業は、コストを削減して利益をあげようとした。まず経営者が行ったのは、給与が高い中高年のリストラ。続いて、正規社員を、給与が低く社会保障費もかからない非正規社員に置き換えていった。正規、非正規を問わず、労働基準法を無視してまで低賃金、長時間労働を強いる悪質な企業が増えたことは、現在も深刻な社会問題になっている。著者は明らかに、いわゆるブラック企業が社員を使い捨てにしている状況と、暗殺者を使ってまで邪魔者を排除する弘前藩の手法を重ねようとしている。

 露西亜が蝦夷地をうかがっている現状を憂慮する大作は、冬の寒さに強い盛岡藩と弘前藩が、過去の恩讐を超えて手を携え、海防にあたるべきだと考えていた。ところが、弘前藩が買ったのは有益な武器や弾薬ではなく、無益な官位なのだ。

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文春文庫
みちのく忠臣蔵
梶よう子

定価:803円(税込)発売日:2016年05月10日

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