2009.06.20 書評

忘れかけていた「死」の重さ

文: 縄田 一男 (文芸評論家)

『みちのく忠臣蔵』 (梶よう子 著)

   梶よう子さんの第十五回松本清張賞受賞作『一朝の夢』を読んだ時、主人公の“朝顔同心”こと中根興三郎たちが、薩摩藩士に踏み荒された庭を整える箇所に接して、ああ、この書き手は、史実の間隙をぬって、ささやかなユートピアをつくり出す名手だな、と思ったものだった。

   ところが一転、受賞第一作の『みちのく忠臣蔵』では、きびしい掟の中で呻吟する男たちを見事に描いているではないか。これは嬉しい驚きだった。

   この作品、実は、いわゆる檜山騒動と、その立役者、相馬大作を独自の視点でとらえた力作である。

   相馬大作といえば、かつては講談や映画で有名だったが、今ではすっかり忘れられた感がある。小説作品としては、戦前に、直木三十五の長篇『相馬大作』があるが、戦後になってからは、大作の師の立場からこの騒動を描いた柴田錬三郎「平山行蔵」や、大作と鼠小僧が作中で交錯する山田風太郎「お江戸英雄坂」がその面影を伝えていた。映像化では、一九五六年、嵐寛寿郎主演で封切られた「剣豪相馬武勇伝桧山大騒動」(監督山田達雄、新東宝)が最後だろう。

   檜山騒動というのは、海音寺潮五郎が史伝『列藩騒動録』で記しているように、「実をいうとお家騒動ではない。実際は赤穂浪士の討入や伊賀越えの仇討と同じ部類とすべき事件である。主家のうらみを晴らすためにやった事件である」ということになる。

   騒動の元は、南部・津軽両家の領地争いである。しかしながら、その遠因は、二百四十余年前にさかのぼる。津軽はもとはといえば南部の臣であり、為信の時に弘前に封じられたのだが、津軽寧親(やすちか)の時に南部の主が幼少であったことを幸いに、その席次を変えるに至った。既にその頃から、幕府によって両家は犬猿の仲にされたといえる。そして、公儀の中枢にいる者たちが賄賂によって国法をみだし、南部の先君を憤死せしめた。よって忠臣相馬大作が津軽侯の命を狙った行為は、武士の一分からすれば、主君の仇を報ずるとともに天下の政(まつりごと)を糺(ただ)す行為であった――というのがこの事件の大まかな解釈となっている。

みちのく忠臣蔵
梶 よう子・著

定価:1600円(税込) 発売日:2009年06月12日

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