グリーンランドにある地球最北の村シオラパルクに私が足を踏み入れたのは、一九七二年、二十五歳のときでした。私はカナダの北端にある山に挑戦するために、このエスキモー(イヌイット)の村で植村直己さんと三カ月の共同生活を送りました。その後縁があってこの地に帰化し妻を得て猟師として暮らすようになり、以来四十年。日本を訪ねたのは、四度しかありません。
本書『極北に駆ける』は、南極大陸の犬ぞり横断を目指す植村直己さんが、極地トレーニングとして十カ月をシオラパルクで過ごし、往復で三千キロの犬ぞり旅行をした体験記ですが、同時にその当時のシオラパルクの記録でもあります。
当時は、近隣の米軍チューレ基地に月一、二本の定期便、それと年に一回、夏に交易船がデンマークからやってくるほかは、まったく隔絶した土地でした。チューレ基地に定期便が入ると、地域最大の町であるカナックから犬ぞり隊が派遣され、荷物や人を運んでいました。
今ではシオラパルクの村にもヘリポートがあり、スケジュールはまるであてになりませんがカナックと連絡しています。カナックには飛行場もでき、週一度の定期便がバスのようにグリーンランドの各町を結んでいます。植村直己さんが本書で書いたような道なきところを犬ぞりでふた月かけて向かった目的地ウパナビックまで、今では数時間で行けます。
しかし、このシオラパルクからウパナビックまでの往復三千キロの犬ぞりの旅、実は、現在のグリーンランドでは考えられないことになってしまいました。
温暖化の影響
いわゆる温暖化のため、チューレ基地の少し先のサビシビックまですら、年に一週間程度しか氷が安定しないのです。ましてウパナビックの方では海面は流氷のままで、とても犬ぞりで行くことはできません。
二〇〇八年にはシオラパルクからカナックまでの間ですら氷が割れたりして、真冬でも犬ぞりで行くことができない事態になったことがありました。
また植村さんの頃には、十一月上旬から翌年七月近くまで犬ぞりが使えたものですが、現在ではクリスマス頃から翌年五月頃までしか利用できません。
初夏に犬ぞりでカナックの奥からシオラパルクのほうにやってきて、夏の間キャンプをしながら、本書で書かれているような網で水鳥のアパリアスを獲ったり、くり抜いたアザラシの胴内に何百羽もそのアパリアスを詰めて発酵させた〈キビア〉づくりをしたりする人たちがいましたが、今ではいなくなりました。
一九七八年、北極点への犬ぞりによる到達で、単独で挑戦する植村直己さんと私の所属していた日本大学山岳部の隊が争ったことも、今では良い思い出ですが、近い将来、カヤックやモーターボートでの北極点到達が話題になるかもしれません。