南極への夢
南極大陸を犬ぞりで横断する計画はシオラパルクの家に夜ふたりでいるときに、植村さんから幾度となく聞きました。そのために冒険に挑戦し、記録をたて、それをアピールしなければ、という強い意志が彼にはありました。本書で書かれたシオラパルクでの十カ月の生活のあと、一年半をかけた北極圏一万二千キロの犬ぞり旅行や、北極点単独行、グリーンランド縦断(一九七四年~一九七八年)と立てつづけに冒険をしていきます。
自分はこういったことをしてきた、できる、という強いアピールがないと、次の冒険への扉を開くことができません。たとえば南極点にはアメリカのアムンゼン・スコット基地があります。ここを通らないと極点通過の記録が認められないのですが、その基地通過の許可証を得るためには、これまでの経験が問われます。冒険の準備には多くの人が関わりますし、その人たちの期待をつなぐためにも成果を見せなければならない。
やらなければならない、と自分を追いこんでいくのだと、植村さんは私に語っていました。
一九八二年、フォークランド紛争の余波で南極計画が頓挫(とんざ)した直後、植村さんがグリーンランドを訪ねてきたことがありました。町の人から借りた犬ぞりでシオラパルクへとやってきた植村さんはさすがに意気消沈した様子を見せていました。北海道に野外学校を設立する夢なども語っていましたが、それでも南極への夢をあきらめていないようでした。
一九八四年に消息を絶つマッキンリー冬期単独登頂もまた、植村さんにとって南極への挑戦の一歩だったのだと思っています。
シオラパルクで植村さんと暮らしていたある日のことです。
明け方、火が消えたかにみえたストーブに石油をかけたところ、生きていた種火に引火し爆発的な燃焼を起こして、蓋が一瞬持ち上がり部屋中に煤(すす)をまき散らしたことがありました。
「なんだなんだ」と慌てて跳ね起きてきょろきょろとしていた植村さんの顔は、煤を真正面から被って真っ黒。あれから四十年経ちますが、今でもあの時の植村さんの顔を思い出します。
そして、まわりの人々を常に大切にすること、不器用でも努力としぶとさがあれば、思いもよらぬ計画すらなし遂げ得ることを身をもって示し励ましてくれたのも、植村さんでした。
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