書評

徳川300年の平和を前に
最後のいくさを看取った知恵伊豆の思い

文: 村木 嵐

『遠い勝鬨』 (村木嵐 著)

 島原の乱でキリシタンが立て籠った原城は島原半島の断崖の上にありました。一帯は乱のあと幕府によって徹底的に破却されたため、今は広大な縄張り跡が静寂に包まれて、美しい夕日が濃い影を落としていきます。

 寛永14年(1637)の真冬の籠城は三月に及び、女子供も含めて4万近い人々が命を落としました。耳をすませばその日の喧噪がどこからか聞こえてきます。

 中川学さんの吸い込まれるような装画が物語ってくれているように、『遠い勝鬨』は島原の乱で原城が陥落にいたるまでの話です。三つ扇の陣羽織で高々と軍扇を掲げているのは幕府軍総大将、知恵伊豆こと松平伊豆守信綱。将軍家光の小姓を経て老中になっていましたが、戦国には遅れて生まれ、いくさの経験はありません。それでも信綱は13万を越す大軍を率い、九州へ下って行きました。

 城壁で迎え撃つのは苛斂誅求と飢饉に苦しみ、神を信じることさえ禁じられた貧しい百姓たちです。小西行長や有馬晴信ら前代のキリシタン大名の浪人が彼らを束ね、種籾まで取り上げられた秋についに一揆が起こります。彼らは原城で年を越して幕府軍の総攻撃をしのいだものの、援軍のあてもない籠城戦は信綱の着陣後ふた月で落城します。

 島原の乱は滅びゆくキリシタンと支配を強める幕府の全面対決として記憶されていますが、一揆軍の中には鉄砲で脅され、あるいは攫われて原城に閉じこめられた百姓も大勢いました。城内で天草四郎の姿を見た者はほとんどなかったといわれる一方で、向かう幕府軍も一枚岩ではなく、抜け駆けや足の引き合いに満ちた諸藩の寄せ集めでした。

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遠い勝鬨
村木嵐・著

定価:本体690円+税 発売日:2014年08月06日

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