松本清張と司馬遼太郎。どちらも昭和を代表する、国民作家である。日本人に多大な影響を与えた事績は、すでに周知の事実であろう。このふたりの国民作家の名前に彩られてデビューを果たしたのが、村木嵐であった。いったいなぜ、そのような華麗なデビューになったのか。作者の経歴を紹介しながら、理由を説明していこう。
村木嵐は、一九六七年、京都府に生まれる。父親が、テレビ時代劇の監督として活躍していたこともあってか、子供の頃からテレビ時代劇に親しみ、歴史好きになったという。また、時代小説も読むようになり、中学時代から司馬遼太郎が好きだったとのことである。京都大学法学部卒。会社員として働いていたが、一九九五年、司馬遼太郎の傍で働きたいと、思いの丈を綴った手紙を投函。司馬夫婦の面会を経て、住込みのお手伝いさんとなった。ところが念願かなったのも束の間、三ヶ月後に司馬遼太郎は死去。以後、司馬夫人の福田みどりの個人秘書となる。そして福田みどりに勧められて、二〇〇五年から小説の執筆を始めるようになったのだ。二〇〇六年には、福田みどりをモデルにした童話『みどりとサンタ』(南野泉名義)で、グリーンサンタストーリー大賞を受賞。二〇〇九年に『春の空風』が、第十六回松本清張賞の最終選考に残り、翌一〇年、『マルガリータ』で、第十七回松本清張賞を受賞した。このとき、かなりの数の新聞取材があったが、どれも“司馬遼太郎の最後のお手伝いさん”という点に注目しており、あたかもキャッチフレーズのようになっていた。以上でお分かりいただけただろう。作者のデビュー(厳密にいえば『みどりとサンタ』がデビュー作だが、村木嵐名義でのデビューは『マルガリータ』になるので、この作品をデビュー作として扱う)は、そのような形で、松本清張と司馬遼太郎に彩られたのである。
もっとも、ふたりの国民作家の名前は、祝福であると同時に、重圧でもある。斯界の注目度や期待度も段違いであり、作者も苦労したことだろう。だが堅実な創作姿勢は、それを感じさせない。第二長篇となる『遠い勝鬨』では、デビュー作『マルガリータ』で描いた切支丹の信仰を、違った方向から活写。併せて、為政者の在り方も追究した。二〇一二年六月の『船を待つ日 古物屋お嬢と江戸湊人買い船』、一三年五月の『多助の女 盗賊火狐捕物控』では、時代ミステリーに乗り出している。さらに、二〇一三年十二月の『雪に咲く』では、有名なお家騒動である越後騒動を題材に、長年にわたり悪役として扱われてきた高田藩筆頭家老の小栗美作の実像に迫っているのだ。じっくりとしたペースで、自己の作品世界を広げていく作者は、まさに実力派といっていい。
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