――『プロ野球「衝撃の昭和史」』は、球史に残る12の“伝説”を徹底的に取材し、「封印されてきた真実」を明らかにしています。月刊「文藝春秋」での連載時は大変な反響だったそうですが、この企画のきっかけは何だったんですか。
二宮 ネットなどを見ていると、プロ野球の歴史についての記述に不正確なものがかなり目立ちます。これでは歴史が正しく継承されていかない。そこで、いつかきちんと検証したいと考えていたんです。関係者がだいぶ高齢になられていて、早くしないと話を聞く機会もなくなってしまう、という焦りにも似た思いもありました。そんなとき、月刊文藝春秋の編集長と会食して、プロ野球の古い話でずいぶん盛り上がった。「面白いから、是非、企画にしましょう」ということになり、1年間連載することになったんです。
――いきなり第1章から、衝撃的な内容ですね。昭和54年の日本シリーズ、広島対近鉄の有名な「江夏の21球」は、本当は「14球で終わっているはずだった」と。
二宮 7戦目、広島が1点リードで迎えた9回裏無死満塁の場面。江夏の14球目に佐々木(恭介)が左翼線にファウルを放ったのをテレビで見て、広島ファンの私としてはヒヤッとしました。広島のサード三村(敏之)のグラブをかすめたように見えたからです。もしそうなら、近鉄は間違いなく2点とって逆転サヨナラ勝ちで、優勝を決めたはずでしたからね。
それから20数年たって、生前の三村さんと話す機会があったので、「あのときはヒヤッとしましたよ」と言ったら、三村さんがしばらく黙ってしまったんです。真相については本書をご覧いただければと思いますが、プロ野球の伝説には、いまだ埋もれたままの秘話、真実が少なくないのではないか、と考えさせられました。
――第2章では、あの沢村栄治が巨人を恨んでいた、という、これまた驚きの事実が明かされます。
二宮 取材当時、沢村夫人がまだご存命で、私は愛媛の自宅まで直接、取材交渉に伺いました。夫人は90歳を超えておられ、体調が思わしくなく、取材は叶いませんでしたが、代わりに娘さんから興味深い話を訊くことができました。
昭和9年に「日米大野球戦」が日本で開催されます。沢村は来日したベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグの3人で記念写真を撮るのですが、夫婦喧嘩でもしたらしく、夫人はその写真を破ってしまったのだそうです。
まあ、これは微笑ましいエピソードのたぐいでしょうが、実は巨人は功労者の沢村にひどい仕打ちを与えていて、沢村はそれを終生恨んでいたし、夫人も「沢村賞の創設には複雑な思いを持っていた」ことが分かりました。プロ野球の草創期から変わらず、球団が選手の思いを大切にしない非情な部分があったことに気づかされました。