旋盤係の中大予科の「日本人よりも日本人らしい」台湾出身の梁敬宣(りょうけいせん)氏は、康子さんに恋をし、特攻隊を志願したいと告げると、「特攻は誇るに足るが、国家としては恥」と諫(いさ)められる。康子さんは、青年将校の本位田巌(ほんいでんいわお)少尉に心を寄せる。それは純粋なプラトニック・ラブであり、エロスとは縁遠いアガペーの愛である。この凛(りん)とした悲話を貫くのは、康子さんが庭でつんだバラの花だ。少年たちはバラの花を旋盤に飾って生産に励んだ。硫黄島が陥落し、自分に召集令状が来て康子さんと別れることになると思った梁氏は、彼女に一房の髪を所望する。戦後、生き残った梁敬宣氏は台湾の自宅の庭にその髪を埋め、その上にバラの木を植える。そして康子さんの死後六十有余年経ったある日、多磨霊園に眠る康子さんの墓に台湾で咲き誇るバラの花の写真を供えるのだ。本当の話とは思われない悲恋である。南方に出征した本位田少尉も、復員して粟屋家に弔問に訪れている。
本書の圧巻は、昭和二十年八月六日、人類初めての新型爆弾、原子爆弾の投下をうけた広島の惨状である。広島市長だった父、仙吉氏と長男忍君は即死、母幸代さんは重傷を負う。
康子さんは、今や戦勝国民の一人となった梁敬宣氏の力で入手した切符で、地獄の広島に行き、母の死の苦悶をみとり、自らも二次被爆で原爆症を発病し、父母や弟の後を追う。
著者門田隆将氏の被爆した広島の地獄図の描写は凄まじい。目をそむけたくなる被爆者たちの苦しみ、そして恢復の見込みの全くない母幸代さんを看病する康子さんの献身ぶりを読むうちに、この愚かな戦争を始め、拙劣極まる戦争指導を行い、粟屋一家をはじめ、あれほど立派だった日本人たちを三百万人も死なせた軍国主義指導者の罪、万死に値すると烈しい怒りを覚えた。評者は極東国際軍事裁判を認めない一人だが、日本国民に対する彼らの戦争責任は問うべきだったと思う。サイパン陥落と共に父弘雄は、吉田茂氏らと連繋して命がけの和平工作を始め、わが家は憲兵隊と特高の厳しい監視下におかれた。もし歴史のこの段階で戦争をやめていたら東京大空襲も、沖縄地上戦も、広島、長崎原爆投下もなく、康子さんも本位田少尉(か梁氏)と結婚して、子や孫たちに囲まれた幸せな老後を迎えたことだろう。
読み終ったとき、評者は「惜しい! こんな女性を死なせて」と呟いたものだ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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