司馬遼太郎が亡くなった時、作家田辺聖子は司馬への弔辞を書いている。田辺も司馬の作品をみごとといっていいほどほめ抜いていて、そこがたまらなくいい。
弔辞に感動があるとすれば、そこには、「人をほめちぎる文章」の真骨頂があるからではないか。
たとえば「(司馬は、その作品で)私たち日本人に、勇気と希望と夢と、そしてプライドを、思い出させて下さった」。司馬の小説の特徴は、「この時期」「余談ながら」という形の「自作自注」をふんだんに入れていることで、その自注の内容がすこぶるおもしろい。「自注がそのまま小説の血肉となり、(略)小説の魅力をいっそうたかめました。(略)自注によって小説は奔馬(ほん ば)のように躍動しました。主人公たちはますます生彩を帯び、小説宇宙は輝きを増します」。この称賛はそのまま、説得力のある司馬文学への批評になっている。
もっとも、「ほめぬく」ことだけが弔辞の特質ではない。たとえば、藤沢周平への弔辞を書いた萬年慶一(昔の藤沢の教え子)はキラッと光る文章を書き、それが印象に残った。「思いの深さ」が弔辞に深みを与えている。中学の同窓生の集まりで、教え子たちが師、藤沢のところにやってきて、愚痴や身の上相談などを持ちかける。藤沢さんは笑顔を浮かべ「ンダガ、ンダガ、ヨシヨシ頑張れヨ」と励ましていた。「只それだけの言葉を聞いただけで何か心が安らいで行く不思議な雰囲気を持っておられました」と萬年は書いている。藤沢作品の多くには「何か心が安らいで行く不思議な雰囲気」というものがある。藤沢の「ンダガ、ンダガ」を鋭敏にとらえたところに萬年という人の故人への思いの深さがある。思いの深さと弔辞の出来ばえは比例している。
寺山修司への弔辞を書いた山田太一の文章もなかなかいい。晩年、山田家を訪れた寺山が山田の本棚をつぶさに見ながら二人で知的な会話をかわす。このときの描写にはゆったりとした静謐感があり、すてきな短編映画を見ている感じだ。その静謐感は余人には書けない2人の思いの深さが生んだものだろう。こういう「秘話」がまじると、弔辞は生き生きとした色になる。
秘話といえば、98歳で亡くなった宇野千代への弔辞を瀬戸内寂聴が書いているのだが、こんな話がでてくる。
「(宇野先生は)男と女の話をなさる時は、芋や大根の話をするようにサバサバした口調でした。『同時に何人愛したっていいんです。寝る時はひとりひとりですからね』」なんていう言葉を残している。「男と女のことは、所詮オス・メス、動物のことですよ。それを昇華してすばらしい愛にするのは、ごく稀(まれ)な選ばれた人にしか訪れない」。宇野は自由人だった。恋に生きた傑物の言葉を「余話」に入れることで、弔辞はきりりと引き締まる。瀬戸内はそのへんの事情を知っている人だった。
硬派の作家城山三郎の夫人が亡くなったあと、軟派の作家渡辺淳一が「再婚する気はありませんか」といって城山に1枚の女性の写真を渡した。城山は「結婚する気はない」といいながら、写真をじっと見て「この人、君のお古じゃないの?」と聞いた。渡辺は仰天した、と弔辞に書いている、この秘話も秘話らしくていい。
これだけの弔辞を集めるには熱っぽい力業(わざ)を要したことだろう。本書は、期せずして、風変わりな日本人論・死生論になっている。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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