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〈特集〉石田衣良@アキハバラ『ブルータワー』そして『アキハバラ@DEEP』

〈特集〉石田衣良@アキハバラ『ブルータワー』そして『アキハバラ@DEEP』

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『アキハバラ@DEEP』 (石田衣良 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

〈特集〉石田衣良@アキハバラ
〈対談〉おたく人生を全うするのも悪くない 五條瑛×石田衣良
・『ブルータワー』そして『アキハバラ@DEEP』 池上冬樹

『アキハバラ@DEEP』 (石田衣良 著)

 小説は時代の鏡であり、国境を越え、テーマを共有する。二〇〇一年九月十一日にアメリカで起きた同時多発テロ、いわゆる〈9・11〉は、直接・間接をとわずに文学のテーマとなり、ローレンス・ブロックの『砕かれた街』、デイヴィッド・ハルバースタムのノンフィクション『ファイアハウス』、ポール・オースターのエッセイ集『トゥルー・ストーリーズ』に結実した。日本でも事件を背景として山田詠美の『PAY DAY!!!』や片山恭一の『雨の日のイルカたちは』などが書かれている。

 事件から三年たっているが、イラク戦争の泥沼化もあって、戦争をテーマにした作品がより増えてきて、今年だけでも打海文三の『裸者と裸者』、横山秀夫の『出口のない海』、荻原浩の『僕たちの戦争』、そして石田衣良の『ブルータワー』が上梓された。偶然にも『出口のない海』と『僕たちの戦争』は人間魚雷、『僕たちの戦争』と『ブルータワー』は〈9・11〉とタイムスリップ繋がりだ。発想は似てくるが、中身は全然異なる。なかでも『ブルータワー』がいい。

 これは悪性脳腫瘍で死の宣告をうけた男が、ふとしたことで意識がスリップして、現代と二百年後の未来社会を往復する物語。興味深いのは、未来社会では世界戦争でまかれた黄魔ウイルスが猛威をふるい、人々は伝染の恐怖から高い塔を作り、そこに閉じこもっている点だ。

 高さ二キロの塔の中では住民たちは五層に分かれ、上層を統治階級、下層を地の民が占めるという完全な階級社会。両者は長く戦闘状態にあり、テロが頻発しているという設定は、まさに“現実世界の南北問題とテクノロジー占有を、高さ二キロの塔の垂直問題にシンボリックに圧縮”したもの(引用はあとがきより)。世界をひとつの塔に凝縮し、貧富の差による差別と暴力を象徴的に捉えている。

 石田衣良というと、『波のうえの魔術師』以降、ここ三年ほどは短篇集ばかりだった。時期は前後するが“池袋ウエストゲートパーク”のシリーズが二冊(『骨音』『電子の星』)、恋愛小説集が二冊(『スローグッドバイ』『1ポンドの悲しみ』)、月島の少年たちを主人公にした直木賞受賞作『4TEEN』、崖っぷちの人間たちを描いた『LAST』、悲しみから立ち上がる人々の物語『約束』である。

 優しく気持ちのいい世界であり、ときに静かな感動をよぶ作品もあるけれど(密度の高さであげるなら、いちばんの収穫は『4TEEN』ではなく『スローグッドバイ』だ)、でも過酷な現実とひたとむきあうようなヘヴィな長篇も読みたかった。『ブルータワー』はまさにその願望にそうものであり、石田衣良が長篇を書いたときにいかに優れた力を発揮するかがよくわかる。

コンピュータおたくたちの物語
六人のおたくvs.大企業

 この『ブルータワー』と並行して雑誌「別册文藝春秋」に連載されたのが、『アキハバラ@DEEP』である。前者は現代から未来を見たが、後者は未来から現代の“アキハバラ戦争”を振り返る。

 小説の題名は、物語の主人公である二十代のコンピュータおたくの三人、ページとタイコとボックスが秋葉原に作った会社名である。三人は企業のホームページの更新、企業PR、アニメや映画のおまけのDVD‐ROMのオーサリングなどの仕事をしているが、新しいeビジネスを開拓したいと思っていた。いちおうコスプレ喫茶の“闘士”アキラを誘ってアイドル・サイトを立ち上げる予定だが、それだけではビジネスにならない。

 そこで会社の代表のページは、ユイという女性にメールで相談する。彼女は人生相談のサイトをもっていて、実はそこでページたち三人が知り合ったのだ。ユイは、プログラマーと元ひきこもりを加えることを提案する。こうして新たに、プログラマーのイズムと元ひきこもりのダルマが加わり、新しいサーチエンジン「クルーク」の開発をはじめるが、大企業がそれを黙ってみているわけはなく、汚い手を使って忍び寄ってくる……。

 なによりも目をひくのは秋葉原、いや従来の家電製品のデパート的な電気街とは異なる、まったく新しいコンピュータおたくたちのメッカとしてのアキハバラの現実だろう。

 先端的なコンピュータ、違法・合法のソフトウェアが氾濫し、ジャンク品のパソコンはキログラムいくらの目方売りされるようなアキハバラが様々なディテールを通して描かれる。

 石田衣良というと『池袋ウエストゲートパーク』の印象が強くて、池袋の小説が多いように思えるが、川端康成の『眠れる美女』を裏返しにした秀作『娼年』はおもに赤坂周辺だし、『4TEEN』はもんじゃ焼き屋と木造の長屋と高層マンションが並ぶ月島だし、『ブルータワー』は現代と二百年後の新宿である。それも単に背景をかりているのではなく、街が人物たちの内面を形作っている。

『池袋ウエストゲートパーク』の文庫解説でもふれたが、街は物語の主人公たちを育み、包み込み、彼らの精神と響きあわなくてはいけない。石田衣良の小説では街と人物は一体であり、書き割りではない。

 アキハバラが選ばれたのは、もちろんコンピュータおたくたちの物語であるからだが、“平和な日本に生まれ、ゲームとコンピュータを相手に成長した青年たちは、極端に痛みと暴力に”弱いことも大きいだろう。つまり危険な匂いの少ない街が必要だったのである。

 さて、物語は、そんなネットおたくたちと大企業との戦いである。サーチエンジン「クルーク」が大企業に奪われ、それを奪還しようとする物語だ。

 基本的には、志を同じくする若者グループが力をあわせて敵に戦いを挑むというのだから、『池袋ウエストゲートパーク』のシリーズと同じといえるかもしれない。ただ違うのは、本書のほうが時代の空気を濃密に捉えていることだ。というのも、『池袋ウエストゲートパーク』ではマコトや池袋ギャングボーイズなどは時代の歪みを体現していない。歪みは、マコトが出会う依頼人や事件の関係者たちにあらわれる。

 しかし『アキハバラ@DEEP』の主人公たちはみな時代の申し子である。早い話が(さきほどもふれたように)おたくだ。コンピュータのグラフィックデザイン専門のボックスは不潔恐怖症で女性恐怖症。“女は二次元に限る”が口癖で、いつも手袋を三枚重ねている。ゲームやホームページの効果音と音楽を作っているデスクトップミュージック専門のタイコは小柄で小太り、光や音の周期的な点滅などで原因不明の発作がおきる。テキストデータを専門に作り上げるページは言葉をたくさん知っているが、重度の吃音者で、いつもパソコンに自分の言葉を打ち込んで人と会話をする。

 そんな彼ら三人に、アキラ(格闘技をやる胸の大きな女性)、イズム(生まれつきのアルビノの十六歳の少年)、ダルマ(長身でやぎひげの三十男。ひきこもり転じて“出っ放し”)という三人が加わり、六人で、「クルーク」が収まっている大企業の七階をめざすことになる。ある種の強奪小説(ケイパー)の趣向すらあって読者を退屈させない。

 しかし作者の狙いは、そんなサスペンスでも、語り手をつとめる未来の子供たち(これがちょっと変わっている)が父たちと母がおこした“戦争”を語るというファンタジー形式でもない。最初に書いたが、9・11なのである。

影を落とす9・11
人気を博す強いメッセージ

 彼らが被害にあう“同時多発空巣”、ダルマがいう“(自分がひきこもっている間に)いつの間にか世界は自爆テロが交通事故のように毎日起きる場所に変わってしまいました”という言葉、彼らが口にする“アキハバラに明るいテロを”などには、まさに卑近な形で、9・11以後のきなくさい世界が反映されている。

 物語的には、平和な日本に生まれ、テロや戦争など対岸の火事としか思っていない彼らが、彼らなりのレベルで“テロ”を考え、“戦争”をしかけることになる。だが“テロ”といっても、“テレビニュースみたいに悲惨な憎みあいじゃなく、おれたちらしいセンスとユーモア”をみせつけるやりかただ。

『ブルータワー』では直接的に、戦争が終わらない今、何をなすべきなのか、テロと憎悪の連鎖をなくすにはどうすればいいのかを真摯に思考していたけれど、ここではもっと不器用に優しく、しかし断固としたおたく的な姿勢で敵との戦いを考えぬく。

 その行為の源にあるものは、彼らの精神的支柱ともいうべきユイの言葉だろう。“今の世界を変えるには待っているのではなく、まず自分から変わるしかない。先に変われる人間がどんどん変わっていくしかほかに方法はない”“誰かを助けることは、そのまま自分を助けることなんだ”という考えだ。これが基本だろう。

 石田衣良の小説というと、若者たちの行動と風俗を軽快かつ瀟洒(しょうしゃ)に、それこそ“エッジ”をきかせて描いているといわれるが、人気を博しているのは、実はそういう強いメッセージ性にある。“言葉はコンピュータなんかとは比較にならない史上最強のシミュレーターだから、実際に世界を改変してしまうことがある”という言葉も出てくるが、それは逆にいうなら、言葉がいかに人を強く導くものであるかの証左でもある。だからこそ作者はメッセージをこめる。

 もちろんメッセージとともに忘れてならないのは、キャラクター造形だろう。ちょっと歪んだ、でもそれこそが自分であり、身近な存在であると認められる人物像を作者は創造する。そこに読者はリアリティを感じる。

 絵空事ではなく、いま自分たちが直面している現実を、歪みを少し誇張されたキャラクターを通してより生々しく感じ、人物たちの語るメッセージに心を動かされる。だからこそ石田衣良の小説は人気があるのだ。

『アキハバラ@DEEP』は、そんな石田衣良の人気の所以(ゆえん)をあらためて証明する恰好の作品だろう。

文春文庫
アキハバラ@DEEP
石田衣良

定価:847円(税込)発売日:2006年09月05日

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