書評

生(せい)そのものに触れる
恐ろしくも美しい小説

文: 大森 立嗣 (映画監督)

『かなたの子』 (角田光代 著)

『巡る』という表題で、ソメノという女性が『だってあんた、あの人が死んだの、十八年も前だもの。(中略)葬式もやってあげないで』とサラッと言い、『でもさ、だからよかったの。十八年、ずーっといっしょにいられたから、かなしいもさみしいもないんだもん。あれ、私がもしへそくり持っててさ、死んですぐ葬式やってお骨にしてたら、そりゃあんた、いつまでもいつまでも、かなしくてさみしくてやりきれないだろうよねえ』と言います。「死体遺棄って犯罪でしょ」なんてつまらないことを言ってはいけない。法律を超えても、しなければならないことがあって、このソメノと言う女性は、ずーっといっしょにいられて、悲しくないって思ったことが彼女の人生にとって何よりも大切だったと思うのです。

『同窓会』という表題で描かれるのは、結果的に人を死なせてしまった小学生が、法律上の罪には問われなかったけれど、死者と自分自身に向きあう姿が描かれる。裁判をして、刑罰を受けたとしても、本来の意味で罪を償ったことにはならない。罪そのものは人の心に深くささったまま、今も未来も揺れ続ける。

『おみちゆき』では、そのことを明確に表す。土の中に逃げ込んで、木乃伊になってさえ、人を殺めた自分から逃れられないのです。

 ドラマ『かなたの子』の主人公は『巡る』に出てくる豆田日都子です。彼女は娘を殺しました。情状酌量される様々な理由があるだろうが、もちろん罪は拭えない。死んでしまいたいと思うかもしれない。それでもやはり生きたいと思う。でもどう生きればいいのかわからない。僕はこの葛藤を撮りたいと思いました。

 この作品を作るとき、豆田日都子がなぜ子どもを殺してしまったのか? そのことを真正面から描かなければいけないと思っていました。人を殺してはいけないと皆知っているにも拘らず、殺人という行為はなくならない。それはなぜだろう。

 それを考えるには社会の枠の中の法律とか道徳とかいう観点は1度取っ払って、日都子という人間そのものに触れなければ、その後の日都子の日々、罪と向きあう日常、そしてささやかな再生を描くことはできないと思っていました。

 小説『かなたの子』は生き難い世の中で生きることそのものに触れようとする恐ろしくも美しい小説でした。ドラマ『かなたの子』は制作中ですが、小説に恥じないような作品になりそうな予感がしています。

かなたの子
角田光代・著

定価:480円+税 発売日:2013年11月08日

詳しい内容はこちら