いくつかの文章からは、小川さんが小説を書く時の姿勢のようなものもうかがえて、小説の書き手の端くれの自分としては、息を詰めるようにして読んだ。小川さんがとても興味があるという盗作について言及した文章の後半、〈一生懸命に書く、という意気込みが、一生懸命に聞く、と変わってからが、本当の小説のスタートである〉という言葉は、まさしくその通りだと思える。「自らの気配を消す」という文章では、ある日本庭園の模様が引かれた白砂の上を歩いて足跡を付けた後に、白砂の模様が元に戻っていたという体験が語られる。そうして小川さんは、〈庭師さんが庭を造るようにして、小説も書かれなければいけない。落ち葉一枚、砂粒一つ疎かにせず、隅々に心を配り、丁寧に手を施しながらも自らの気配は消し去る。(中略)そういう小説を書くためにはやはり、誰の目にも触れないところで、たった一人で悪戦苦闘しなければならないのだろう〉と書く。身を正される思いがする。
小川さんの視点、そして小説を書くということについてに加え、もう一つの軸と言えるのが、小川さんのご両親や旦那さん、息子さん、ラブラドール犬のラブ、文鳥のブンちゃんといった身近な人々や動物たちのことである。特に、痴呆になったお父さんに著書を渡すと「こんなに書いたら、死んでしまう」という反応をされるという一節は強烈に印象に残っている。そして表題作ともなっている「とにかく散歩いたしましょう」をはじめとしたラブに関する文章は、どれもラブのかわいらしさと、ラブに迫る老いの寂寥感に満ちている。とはいえ、ラブが交通事故に遭ってしまったことと、嵐のCDが自宅に届くことが重なる記述には、当時の小川さんの心境を考えるととても申し訳ないのですが、なんだかやっぱり笑ってしまうものを感じる。悲しさや不安の中に溺れてしまう前に、心をそっと岸に引き戻すかのような、穏やかなバランス感覚が、そこにはあるのだ。
小川洋子さんという一人の女の人の中に、これだけ豊かな世界や、ものの見方が詰まっているのかと思うと、基本的には驚きの一言なのだけれども、行間に吹いている風はあくまで心地良く優しい。まるでその驚きなどなかったことにするように。それは本当に「庭師が庭を作るよう」な様子でもある。この本を手に取ったなら、きっと、あなたがいい気分の時もつらい気分の時も、小川さんは傍にいて、そっと話しかけてくれるだろう。
-
小川洋子 『猫を抱いて象と泳ぐ』
-
広大な盤上の世界の哀しさ
2008.12.20インタビュー・対談 -
スズメとヘアピン
-
『円卓』解説
-
<ヒトのミチ>の気配
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。