2015.07.31 書評

小川洋子さんの小説の片鱗を拾うような、豊かなイメージ

文: 津村 記久子 (作家)

『とにかく散歩いたしましょう』 (小川洋子 著)

 小川洋子さんの文章を読む前は、いつも「怖い」という気持ちに苛まれる。文章自体はもちろん、視点の興味深さや発想も、あまりにわたしが届かないところにいる方で、自分のろくでなしさを省みてしばらく立ち上がれないんじゃないかと足がすくんでしまうのだ。

 なのにである。そこまでひるんでおいてなんなのだが、いったん読み始めると、完全に小川さんの世界に取り込まれてしまって、にやにや笑いながら超満喫している。この本はエッセイ集ということで、小川さんの物事への独特の視点やこだわりが小分けにされているため、より気軽な形でその世界を往来できるようになっている。そして、遠い所に連れて行ってもらったような、もしくは、小さい体に縮んで、小川さんの机の上やご自宅や庭を探検させてもらったような気分で本を閉じるのである。

 四十六篇という収録本数の多さもあって、取り上げられていることはバラエティ豊かである。本のページを粘り強くめくる姪っ子さんが[る]を指差していることに気付いて、文字と人との原初的な関係に思いをめぐらす、という一篇めからして、すでに小川さんの視点に相乗りさせてもらっているような感覚に陥る。かと思うと二篇めでは、森鴎外と森茉莉の親子関係に焦点を当てながら、小川さんの人の親としての側面がのぞく。ここで、小川さんのような比類ない内的世界を持っている人が、親という立場でもあるんだという(もしくはその逆も)不思議さというか、豊かさにはっとするのである。

 二篇めにしてわたしは早くも泣いてしまったのだが、笑いどころも大変多い。かぎ針編みのお花のモチーフの作り方の説明の部分は、何回読んでも笑ってしまう。〈名文悪文の基準を超えた、前衛小説のようにシュールなこんな一文〉と小川さんはおっしゃるのだけれども、かぎ針編みの作り方の説明を名文か悪文かというはかりにかける視点そのものがシュールで、自分も手持ちの手芸の教則本を仔細に読んでみたくなる(それにしてもかぎ針編みは難しそうだ……)。

 ハダカデバネズミに関する一連の文章も注目である。〈「はい、おっしゃる通り。私は裸で出っ歯です」と見事に自分を肯定している〉とハダカデバネズミの代弁をする部分は、やはり笑える。そして、ハダカデバネズミの女王、肉布団係の働きデバ、兵隊デバの気持ちが熟考され、気が付いたらわたしも、極端に太った兵隊デバの孤独な決意に思いを馳せている。新たな群れを作るために旅立つ彼の魂は、毅然と誇り高いものを感じさせてくれるのだが、同時に見た目は極端に太ったハダカデバネズミであることが容易に想像されて、ぶっと吹き出してしまう。その後、小川さんはついにハダカデバネズミと対面を果たすのだが、その時の小川さんのハダカデバネズミ実物の鳴き声への詩的な感慨、そして実際に小川さんの手に触れたハダカデバネズミの反応というのも、一筋縄ではなく興味深い。

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とにかく散歩いたしましょう
小川洋子・著

定価:本体660円+税 発売日:2015年07月10日

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