「神経症の時代」という言葉は本書で初めて使われたものではない。高度成長に差しかかる一九五〇年代後半から、メディアに採り上げられるようになった、いわばジャーナリズム用語である。著名人のノイローゼによる自殺が相次いで報じられ、まず「週刊朝日」一九五五年七月二十四日号が「あなたは大丈夫ですか? ノイローゼと現代人」という特集を組んだ。「ノイローゼは現代人のアクセサリー」というコピーが読者の心に波風をたてたのだろう。ほかのメディアでも記事にするようになり、「ノイローゼ」はその年の流行語となった。
ノイローゼは神経症をドイツ語読みした医学用語なのだが、一般人には、ちょっと考えすぎ、悩みすぎといった軽い意味合いで用いられた。ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』の翻訳で知られる心理学者の霜山徳爾は、昨今のノイローゼの流行は、組織への従属やオートメーション化の流れに呑まれ、自由と個性を発揮できずにいる「神経症の時代」の病理が背景にあると指摘している(『明日が信じられない』一九五八)。
ノイローゼを扱った一般書の出版点数や新聞の見出しを調査した近森高明・現慶應大学准教授の「二つの時代病:神経衰弱とノイローゼの流行にみる人間観の変容」(京都社会学年報一九九九年七号)によれば、ノイローゼの流行は七〇年代にピークを迎えたのち、八〇~九〇年代にかけて終息している。これは、株式や不動産の価格高騰に始まるバブル景気の動向と軌を一にしていたと考えてよいだろう。警察庁の統計を見ると、それまで年間二万五千人あたりで推移していた自殺者数はこの間、二万人を切る勢いで減少している。神経症は過去のものになったかのようであった。
あとからならなんとでも解釈できるのを承知で書くので心苦しいが、バブル崩壊で株価は九三年に底を打ったものの、暮らしへの影響が表面化し始めるのは一足遅れてからだ。二万人台で推移していた自殺者数は九四年から徐々に増加し、アジア通貨危機の影響が顕在化し始めた九八年に三万人を超えた。働き盛りの男性が自殺に至った動機の一位は経済問題である。土地・住宅問題の解決や労働時間の短縮など聞こえのよい目標を掲げた「生活大国」とは名ばかりで、人心はやせ細っていった。
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