職業柄、腰痛持ちである。もう十数年前になるが、ほかの人はどうしているのかという軽い好奇心で『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』という本を読んだ。著者は『Wの悲劇』などのヒット作で知られる作家の夏樹静子で、のたうち回るような地獄の苦しみと、そこから抜け出して劇的に回復するまでの道のりを描いた闘病記だった。
椅子に座り続けて仕事をする者として、夏樹の経験は決して他人事ではなかった。夏樹と同様、私も整形外科や鍼灸や指圧に通い、プールで筋肉を鍛え、なんとしても治してやろうと必死になればなるほど痛みが増すという悪循環に陥っていた。それでもまだ、自分のほうがずいぶんましだと慰められるような想いで読み進め、中盤、夏樹に医師の診断が下ったところで絶句した。夏樹が苦しんでいた腰痛に器質的な問題はなく、心身症と呼ばれる心因性のもの、すなわちメンタルが原因だったのである。
治療が始まった。病室の扉に「面会謝絶」の紙を貼り、新聞や雑誌、ラジカセなど世間との接点になるものはすべて運び出された。電話はあるが通話は禁止。外部の情報は一切断たれた。今思えば、森田療法の真髄といわれる絶対臥褥であろう。一日に口にできるのは千ミリリットル以上の水か番茶のみ。それでもよくなる気配はなく、疼痛に顔を歪める夏樹に医師はいった。「痛みから逃れようとせず、正面から対面して下さい。ねじ伏せなくてもいい、ただジッと受けとめるのです。痛みが強くなっても恐れずうろたえず、どこまで痛くなるか見きわめてやろう、といった気持でいて下さい。そして、必ず治る、生まれ変るのだと自分にいい聞かせるのです」
その医師もまた、学生時代に心臓神経症を患い、医学書を読みあさった末に出会った森田療法によって全治した過去があった。怖いなら怖いまま、不安なら不安のまま椅子に座り、食事をする。やれればよし、やれなければまたやってみればいい。やれれば自分をほめてやる。医師は作家として完璧であろうとする夏樹静子の存在自体が腰痛を引き起こしていると見抜き、作家・夏樹静子と訣別し、本名の出光静子として生きることを勧めた。
もちろんすぐに納得できる話ではない。螺旋階段を行きつ戻りつしながら、夏樹は苦しむ。だが医師の、「夏樹静子のお葬式を出さなければなりませんね」という最後通牒ともいえる促しに涙を流し、ついに一年間の全面休筆を宣言した。腰痛はみごと寛解した。