- 2016.06.25
- 書評
児童文学翻訳今昔物語
文:金原 瑞人
『ジャングル・ブック』 (ラドヤード・キプリング 著/金原瑞人 監訳/井上里 翻訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
明治三十五年に出版された、中島孤島訳の『狼太郎』の口絵をみると、シェア・カーンの上にまたがり、そのあごのひげをつかんで、松明を振り上げている男の子も、金太郎そっくりだ。
さて、そんな『狼少年』『狼太郎』、菊池寛の『ジヤングル ブツク』を経て、このキプリングの名作はさらに、大佛次郎、中野好夫、西村孝次、木島始らによって訳し継がれていく。
『鞍馬天狗』を書いた大佛次郎がどんな訳をしたのか気になる人のために、第一章から少し引用してみよう。手元にあるのは昭和二十一年の『狼少年』。
「さて。」
と父親の狼は申しました。
「また狩に行く時間だな。」
のつそりと、洞穴を出て行かうとすると、月明りのさしてゐる出口のところに誰か、ふさ〳〵した尻尾をさげた小さい影が通つて急に聲をかけて來ました。
「狼の大將。お出かけですか。いゝ狩をしていらつしやい。子供さん逹も早く強く白い牙をはやして大きくなることだな。」
これは豺なのです。タバキといふ名でした。タバキというのは、「皿なめ」といふことでした。
『アリス』にしろ『ジャングルブック』にしろ、明治から現代までの翻訳を拾っていくと、とても楽しい。訳された頃の日本人の感覚や感性がわかるし、言葉遣いの変遷もわかる。それでいて、伝わるべきものはちゃんと伝わる。おそらく、明治の子どもたちが受けた感動と、平成の子どもたちが受ける感動はそれほどちがわないと思う。
しかし、平成の子どもたちに昔の翻訳は渡せない。
翻訳はすぐに古びる。その時代、その時代の日本人が受け取った海外文学のイメージは、その時代、その時代のものでしかないからだ。日本語で書かれた文学作品はそのまま残って、読み継がれていくが、翻訳はいつの間にか古くさくなって、読まれなくなっていく。
ぼくも平成二年に『ジャングル・ブック』を訳していて、偕成社文庫で出ている。今でもたまに増刷になるが、今回読み直してみて、そろそろほころびかけているような気がしないでもない。が、これはこれでかつての自分の翻訳の形なので、そのままにしておこうと思う。
今回、『ジャングル・ブック』が井上里さんの翻訳で出版されることになり、全文、原文とつきあわせてチェックさせてもらった。あちこちに、自分にはとてもこんなふうに訳せないなと思う見事な翻訳があって、驚いてしまった。
じつにのびのびとした、若い文体でキプリングの名作が現代によみがえった。
新しい『ジャングル・ブック』の誕生といっていい。
ぜひ、読んでみてほしい。
二〇一五年十一月二十九日
参考図書
「不思議の国のアリス 明治・大正・昭和初期邦訳本復刻集成」
「明治翻訳文学全集〈新聞雑誌編〉キプリング集」
『ジヤングル ブツク』(菊池寛訳・文藝春秋社・昭和三年)
『狼少年』(大佛次郎訳・湘南書房・昭和二十一年)
『ジャングル・ブック』(菊池寛訳・啓文館・昭和二十六年)
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