- 2016.06.25
- 書評
児童文学翻訳今昔物語
文:金原 瑞人
『ジャングル・ブック』 (ラドヤード・キプリング 著/金原瑞人 監訳/井上里 翻訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
なかでも興味を引くのは芥川龍之介と菊池寛の共訳による『アリス物語』。これは芥川が担当したものの、途中で自殺したため、あとを菊池が担当した。巻末には次のような文章が添えられている。
この「アリス物語(ものがたり)」と「ピーターパン」とは、芥川龍之介(あくたがはりうのすけ)氏の擔任(たんにん)のもので、生前(せいぜん)多少(たせう)手(て)をつけてゐてくれたものを、僕(ぼく)が後(あと)を引(ひ)き受(う)けて、完成(くわんせい)したものです。故人(こじん)の記念(きねん)のため、これと「ピーターパン」とは共譯(きようやく)と云(い)ふことにして置(お)きました。
この『アリス物語』は、文藝春秋から発行されていた廉価版「小学生全集」の第二十八巻にあたる。
菊池はこの全集を出すにあたって、次のように書いている。
自分は文学者であるから、此の全集の中に、世界の少年少女文学の傑作は悉く集めることにした。「クオレ」「少公子」「ジャングル・ブック」「家なき子」「ピイタア・パン」などは、面白いこと無類で、これをよむとよまないで、子供の性格や情操に差違が生じはしないかと思はれるほど、強い感銘を与へるものだと思ふ。(初出:「文藝春秋」文藝春秋 1927(昭和2)年5月号)
そして「面白いこと無類で」といっているだけあって、この全集の四十九巻『ジャングルブック』は自分で訳している。
ちなみに、昭和三年に出た菊池版『ジヤングル ブツク』の登場人物、いや登場動物の名前は次のようになっている。
アキーラ(統領狼)
シェア・カーン(虎蔵)
バルー(熊太郎)
バギーラ(豹介)
カー(蛇一)
ただし、昭和二十六年に出版された菊池寛訳の『ジャングル・ブック』(啓文館)では、すべて英語の発音を使っている。
さて『明治翻訳文学全集』によれば、日本における『ジャングルブック』の翻訳は土肥春曙と黒田湖山の共訳による『狼少年(お伽小説)』が最初とのこと。これは明治三十二年から三十三年にかけて「少年世界」という雑誌に連載されたもので、抄訳でおおまかな訳とはいえ、原文にかなり忠実といえなくもない。たとえば、冒頭の部分。
處(ところ)はシーオニーといふ山(やま)の奥(おく)、時(とき)は丁度(ちやうど)ある暑(あつ)い日(ひ)の夕方(ゆふがた)であつた。自分(じぶん)の洞穴(ほらあな)の中(なか)で、心地(こゝろもち)よく晝寢(ひるね)をして居(ゐ)た父狼(ちゝおほかみ)は、今(いま)しも眼(め)を寤(さ)まして、のび〳〵をして、欠伸(あくび)をしながら、首(くび)をまはして徐(しづか)に其(そ)の側(そば)を見(み)た。側(そば)には、ゴロ〳〵轉(ころ)げて、切(しき)りに啼(な)いて居(ゐ)る四疋(ひき)の子狼(こおほかみ)と、其(そ)の子狼(こおほかみ)の上(うへ)へ、鼻(はな)を置(お)いて睡(ねむ)つて居(ゐ)る母狼(はゝおほかみ)とが居(ゐ)たのである。
明治時代の訳であることを考えると、立派としかいいようがない。ただ、挿絵が気になる。現代の日本人にとって、いや、欧米やアジアの人々にとっても、モーグリはすらりとした精悍な少年だろう。近々、日本でも公開される映画でもそこは同じだ。ところが、この『狼少年』の挿絵の狼少年は、ぷっくりした金太郎体型なのだ。たしかに狼少年の虎退治は、熊と相撲を取っている金太郎に似ていなくはない。というか、当時の日本人にとっては、この物語を読んで頭に浮かぶのは、そういうキャラクターだったのだと思う。
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