書評

ややゆがんだ一文になってしまったのには、理由がある。

文: 井上 章一 (風俗史家)

『さらば東京タワー』 (東海林さだお 著)

 この本は、冒頭に「頭のふりかけ購入記」を、おいている。最近、頭髪がうすくなってきた。なんとかしたい、というような文章から、一冊がはじまっている。

 読みはじめて、まず私は思った。もう、著者の年になれば、モテるモテないを論じても、切実さがあらわせない。どうしても、若いころのくりごとになってしまう。著者の今が、読者につたえられない。ここは、ひとつ、毛がへってきたという話で、ひがむ芸を披露しておこうか。そんな腹づもりもあって、薄毛の話を書きだしたのかなと、私はうけとめた。

 だが、読みすすむうちに、かならずしもそういう文章ではないことが、見えてくる。じっさい、一一ページ目で、著者はこうのべている。

「ここで一言断っておきたいのだが、池上彰さんという人がいますね。『いい質問ですね』の人。あそこまではいってませんからね、ぼくは」

 これを書いたのは、著者が七十歳台のなかばにさしかかったころであった。立派なおじいさんである。そんな人が、自分の髪は池上彰ほどうすくないと言う。

 さらに、ダメをおすつもりもあったのだろうか。次のページには、こんな文句も書きつけた。

「いずれ池上彰状態、いや、相撲協会理事長の放駒親方状態に発展する可能性もある」

 笑いをさそうための一文なのだろう。しかし、私にはこれが笑えない。今ちょうど六十歳の私は、頭髪が「池上彰状態」においこまれている。七十台なかばで、まだそこまでいっていないという人の文章には、よりそえるはずがない。

 著者のひそみにならって、私もひがみ根性を発揮しよう。これは、自慢話だ。自分には、まだ毛がある。八十が近くなった今でも、てっぺんをかくすだけの余力がたもたれている。そのことをほこりたい一心で、書いたにちがいない。

 なるほど、リアップやスカルプなどという名詞が、ここにはちりばめられている。薄毛の悲哀をコミカルにあらわす体裁が、とられていないわけではない。だが、本音はちがう。「こんな年齢になっても」、まだはえてるって「自慢話がしたいんだ」。

 以上のように、私は了解した。冒頭から、いきなり頭髪自慢を読まされたように、うけとめたのである。つめたく、そして同情のない解説文になってしまったのも、そのためだと言うしかない。

 ただ、ひがみを文筆の肥やしにする点では、私の解説も著者の流儀にしたがっている。のみならず、著者のことは、これまでもそんな筆法の先達として、あおぎ見てきた。今回は、毛髪のせいで、ややゆがんだ一文になってしまったことを、くやむ。

さらば東京タワー
東海林さだお・著

定価:本体550円+税 発売日:2016年01月04日

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