この本で、著者は鹿島茂と男女のふれあいを、語りあっている。そして、青春時代の社交ダンス体験を、にがい想い出とともにふりかえる。いっしょにおどろうと女の子をさそったら、しばしばことわられた。「『また今度』なんて言われたときの敗北感、恥辱感といったら」(八〇頁)。
著者は女性からこばまれる屈辱を、たえがたく感じたという。こういう人は、女たちへのさそいをひかえるようになりやすい。ふられてプライドが傷つくのをおそれ、傍観者の安全地帯へひきこもる傾向がある。
そして、そこから女にもてている男をのろうのだ。たとえば、呪詛の文句を、ひねりだす。「男女の幸福みたいなものに対して、許せない……僕が言わなければ」(六九頁)。著者も、若いころの仕事は、そんな怨念にささえられていたという。
女に声をかけることでは、たいていの男たちが辛酸をなめている。ひとにぎりの天才的なジゴロをのぞけば、みな傷ついてきた。その艱難をとおして、やっとそこそこはもてる男になりおおせる。これが、「モテ」への、誰もがとおるだろう途である。
だが、傷つきやすすぎる人は、この方向へふみださない。ナンパの競争場裡から身をひいて、男の沽券(こけん)をまもるようになる。のみならず、傷ついても傷ついても女にむかっていく男を、見下しもするだろう。お前には、男としての誇りがないのか、と。
熟年者の恋愛やセックスも、小林との対談では話題になっている。老人たちから、性愛体験をよく語られるという対話の相手に、著者はこう応じた。
「みんな内心では誰かに言いたくてしょうがないんじゃない? こんな年齢になってもモテてるって自慢話がしたいんだよ」(二六七頁)。
いや、みんなまじめなんだという小林に、著者はおっかぶせる。
「でも、絶対どこかに自慢が入ってるでしょう? 小林さんみたいに見ず知らずの人にまで自慢したいのかな」(二六八頁)。
ひがみっぽくふるまうのは、著者の癖にもなっているだろう。漫画家、文筆家としてのセールスポイントでもあると考える。しかし、根っ子には、傷つきやすい雄々しさも、ひそんでいるような気がする。部下には、あなどられたくない。蒸気機関車のような存在こそが、理想である。こういう言いっぷりも、みなそこに由来していよう。
ずいぶん、ひややかな書き方を、してしまった。文庫の解説にそえる文章としては、愛がなさすぎる。これを読んで下さった方々も、そこはいぶかしく感じられただろうか。
しかし、ついついこういうことも書きたくなる言い分が、私にないわけではない。
この本は、冒頭に「頭のふりかけ購入記」を、おいている。最近、頭髪がうすくなってきた。なんとかしたい、というような文章から、一冊がはじまっている。
読みはじめて、まず私は思った。もう、著者の年になれば、モテるモテないを論じても、切実さがあらわせない。どうしても、若いころのくりごとになってしまう。著者の今が、読者につたえられない。ここは、ひとつ、毛がへってきたという話で、ひがむ芸を披露しておこうか。そんな腹づもりもあって、薄毛の話を書きだしたのかなと、私はうけとめた。
だが、読みすすむうちに、かならずしもそういう文章ではないことが、見えてくる。じっさい、一一ページ目で、著者はこうのべている。
「ここで一言断っておきたいのだが、池上彰さんという人がいますね。『いい質問ですね』の人。あそこまではいってませんからね、ぼくは」
これを書いたのは、著者が七十歳台のなかばにさしかかったころであった。立派なおじいさんである。そんな人が、自分の髪は池上彰ほどうすくないと言う。
さらに、ダメをおすつもりもあったのだろうか。次のページには、こんな文句も書きつけた。
「いずれ池上彰状態、いや、相撲協会理事長の放駒親方状態に発展する可能性もある」
笑いをさそうための一文なのだろう。しかし、私にはこれが笑えない。今ちょうど六十歳の私は、頭髪が「池上彰状態」においこまれている。七十台なかばで、まだそこまでいっていないという人の文章には、よりそえるはずがない。
著者のひそみにならって、私もひがみ根性を発揮しよう。これは、自慢話だ。自分には、まだ毛がある。八十が近くなった今でも、てっぺんをかくすだけの余力がたもたれている。そのことをほこりたい一心で、書いたにちがいない。
なるほど、リアップやスカルプなどという名詞が、ここにはちりばめられている。薄毛の悲哀をコミカルにあらわす体裁が、とられていないわけではない。だが、本音はちがう。「こんな年齢になっても」、まだはえてるって「自慢話がしたいんだ」。
以上のように、私は了解した。冒頭から、いきなり頭髪自慢を読まされたように、うけとめたのである。つめたく、そして同情のない解説文になってしまったのも、そのためだと言うしかない。
ただ、ひがみを文筆の肥やしにする点では、私の解説も著者の流儀にしたがっている。のみならず、著者のことは、これまでもそんな筆法の先達として、あおぎ見てきた。今回は、毛髪のせいで、ややゆがんだ一文になってしまったことを、くやむ。
さらば東京タワー
発売日:2016年02月12日
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