「丸かじり」シリーズは、本書で三十四作目になる。第一作『タコの丸かじり』の単行本版が刊行されたのが一九八八年のことだから、「昭和」に源を持ち、「平成」を貫いて滔々と流れる大河シリーズである。
その三十一作目――単行本版が二〇〇九年に刊行された『ホルモン焼きの丸かじり』に、「カツカレーの正しい食べ方」なる一編が収録されている。書き出しは、こうだ。
〈今回は「カツカレーの正しい食べ方」です。/これを読んでドキッとした人が大勢いるのではありませんか。/これまで自分は、正しい食べ方でカツカレーを食べていただろうか。自分流の食べ方で食べていたのではないだろうか。/その自分流も、毎回同じパターンがあるわけではなく、そのときどきでカツをかじったり、カレーをあちこちすくったりして食べていたのではないか〉
僕もドキッとした。
ただし、それはカツカレーの食べ方についての「ドキッ」ではない。
文中の語句のいくつかを適宜あらためていけば、「カツカレーの正しい食べ方」は、そのまま「『丸かじり』シリーズの正しい読み方」に重なり合う。
はたしてオレは、正しい読み方で「丸かじり」を読んでいただろうか。自己流にすらならない思いつきや気まぐれで、読み散らかしてきただけではないのか。
ただのカレーライスならよかったのだ。カツライスにとどまってくれていれば、こちらだって楽なのだ。しかし、ここにはカレーとトンカツの両雄が並び立っている。だから話が厄介になってしまう。
「丸かじり」の場合も、そう。
ちょっとページをパラパラとめくって、本文に戻っていただきたい。どの回でもいいので、タイトルページのところを開いてほしい。
あらためて読み進めてみると、まずタイトルがある。文章が始まる。しばらくつづく。と、そこに挿画が、どーん!――。
この「どーん!」が、「丸かじり」=カツカレー説を力強く支える。
「丸かじり」の挿画は、決して添えものではない。大きい。面白い。味わい深い。ゆえに読者は迷う。文章を読み進めるのをいったん中断して、絵を味わうか。それとも、あえて絵は素通りして、読後にじっくりたのしむか。
文章はどこまでも快調に流れ、読み手のまなざしを引きつけてやまず、絵に移ろうと思っても、なかなか目を切ることができない。一方、絵の吸引力も、強い強い強い。視界の隅をちらりとでもよぎったら最後、顔ごとガバッとそっちに向けて凝視せざるをえない。そのあたり、タンマ君と美女のおっぱいの谷間との関係を彷彿させるものがあるのだが、「丸かじり」の読者は皆、そのせめぎ合いを瞬時に、半ば無意識下でおこなっているわけだ。
しかも、せめぎ合いは一度きりではない。なんとか文章と挿画との折り合いをつけてページをパラッとめくると、再び挿画が待ちかまえているのだ。最初の絵が「大」のサイズなら、こちらは「中」。さすがに「大」ほどの吸引力はなくとも、サイズが小ぶりになったぶん、絵の細部や書き添えられた文字がすぐには読み取れず、だからこそ気になって気になって……まだまだ迷い箸はつづく。
その関門を乗り越えて、さらにページをめくると、今度は「小」。もっとも、このあたりまで来れば、文章も終盤。面白さは佳境に入っていて、もはや脇目を振る心配はないだろう。
しかし、もちろん「小」の存在は侮れない。一編を読み終える間際の寂しさのなか、手つかずのおたのしみがあるというのが、どれほど読者にとってうれしくて、心強いことか。それはまさに、カツカレーにおける「まだカツが一切れ残っている」にも通じるものではないか。
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