大変だ。
締め切りが近づいて、後悔している。
こんな大それた原稿を引き受けるんじゃなかった。
ボクごときが。
解説なんて。
しかも、かの、日本全国にシリーズ最新作を熱望しているファンを持つ、東海林さだお先生の「丸かじりシリーズ」の解説を!
まいった。
「ようよう、いつからそんなにエラくなったんだ」
もう一人のヤクザな自分がアタマの中で脅かす。
なんて。
東海林さんの真似をして改行を多くして、ごまかしている場合ではない。
でもこの際、正直なことを告白して、乗り切るしかない。
正直に書きます。
大学生の頃、東海林さんのマンガを面白いと思わなかった。
東海林さんのサラリーマンモノのマンガを、
「オヤジ臭い」
と思っていた。
若かった。ファンの皆さん、怒らないでください。
いいや、怒ってもいい。怒られるような、調子づいた若者でした。
今は思い出しても当時が恥ずかしい。当時の自分に、
「お前、アオいよ。お前に何ができる?お前なんてまだなんでもないだろう!」
と言って、アタマを小突いてやりたい。
大学生でロックバンドをやっては、酒ばっかり飲んでいた頃でした。マンガもちょっとは読んでいた。
マンガのついでに、東海林さんのエッセイも、オヤジっぽいと思ったりしていた。
というのは、東海林さんのラーメンを食べるエッセイを読んだら、チャーシューを異様に大事にしていたのだ。ボクは「世代が違うな」と思った。「ラーメンのチャーシューなんて小さな肉片がそんなに大事か」と思った。「これは戦後の世代なんだな」とか、さらに知ったようなことも思った。エッラソーに。バカだ。
ボクもラーメンは若い頃から大好きだったが、当時すでにチャーシューよりも、シナチクが美味しい時に嬉しかった。チャーシューメンを食べている人なんてちっとも羨ましくなかった。むしろ「肉、邪魔」とさえ思っていた生意気な奴だった。
と、この本を全部読んでからここを読んでいる人は「ちょっと待て、クスミ!」と思うかもしれない。
わかっています。話が前後するけど、本書のP.198で東海林さんは、ラーメンの具が一種類しかのせられないとしたら、という話で、
「若いころだったら迷うことなくチャーシューです」
と書いている。今はメンマだと書いている。そこを読んだときボクは正直ちょっと嬉しかった。なんだかわかんないけど、ホッとした。
ちなみにミュージシャンの矢野顕子さんの名曲『ラーメンたべたい』を、初めて聴いたとき、その歌詞の、チャーシューもナルトもいらない、でもネギは入れてね、というところに、「ですよね!ですよね!」と快哉を叫んだものだ。矢野顕子さんは「こっち側だ」と思ったわけです。はい、まだ当時ボクは東海林さんを「向こう側」だと感じていたんですね。