その気になれば、今の私は家の一軒ぐらい建てられる。車だって買える。だが、大工をしている亭主(これも驚かれることのひとつ)が新築の家に全く興味を示さないのだ。システムキッチン、フローリングの床、レースのカーテンが揺れる出窓をつまらないと言うのである。それは彼が、さんざんそのような家を造って来たからである。家なんて雨漏りしなけりゃいいと言う。だから私達は今でも築百年は経つあばら家に住み続けている。
車は、私が独身の頃、自動車会社に勤務していたので、車の維持費の掛かりの多さをいやというほど知っている。車は動けばよい、高級車は不要であると心底思っている。そういう訳で、デビュー当時から私の暮らしぶりはほとんど変わっていない。それでは駄目なんですか、と蓮舫議員のように追及してみたい。
ついでに所得税の申告について申し上げるが、私は税理士を頼まず自分で申告している。作家は仕入れがない。問題となるのは経費だけである(領収書は必ず貰う)。
出版社から送られて来る源泉徴収票を合計して一年の稼ぎ高を把握したら経費を引き、所得金額を出し、さらに健康保険、生命保険、損害保険、国民年金などを引き、決まりの税率で税金を計算する。すでに納付している予定納税分を差し引けば、支払うべき税金の額が出る。とても簡単。それなのに税理士任せにしている方が多い。しかも高い税理士代を払っているのに、なおかつ税務署の調査に入られる方もいらっしゃる。間尺に合わないと思う。
それはともかく。「ウエザ・リポート 笑顔千両」である。表紙の見本が送られて来て、それを見た私は仰天した。私のイメージとはこれだったのかと。未見の読者のために説明すると、函館の景色を目の前にして、一人の太った女が洗濯物を干している図である(しかも和服で)。
その女は架空の人物であると編集者は念を押したが、どうしてどうして私以外に誰をイメージできようか。
京極夏彦さんの『前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり)』に「寝肥(ねぶとり)」という太った女が出てくる。寝肥とは寝惚堕(ねぶおり)という病に罹った女のことで、奥州では寝相の悪い女や寝坊をする女を戒める意味でそう呼んでいる。寝肥は私です、と冗談で言っていたが、まさか寝肥の私がそのまま文庫の表紙になるとは夢にも思わなかった。担当がなじみの編集者だったので、安心して任せっ切りにしてしまったせいだ。もう取り返しがつかない。
しかも、単行本を出してくれた版元が引き続き文庫も出させてほしいと懇願したのを無視して、私は文春文庫に引っ張った。後足で砂を掛けるようなことまでした結果がこれだ。
私は生まれて初めて編集者に殺意を覚えた。この借りは必ず返す。覚悟してろ、キクチ。
このエッセイ集は、天気予報に引っ掛けて、日々の心の空模様を伝えるものである。お気に召していただければ幸いに思う次第である。
くれぐれも文庫の表紙だけに気を取られぬように。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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