文禄・慶長の役を描いた理由
――さて、『黒南風の海』では、朝鮮半島へと舞台を一気に移しました。
伊東 戦国関東という足場を固めたうえで、満を持して戦国関東以外の題材に挑んだのが、この作品です。
小説のふたりの主人公、沙也可(サヤカ)という日本人と、金宦(キムクワン)という朝鮮人は、もちろん実在の人物です。豊臣秀吉の朝鮮出兵で戦った日本人が、李氏朝鮮軍に降伏し、朝鮮国に帰化し、沙也可となったことは以前から知っていましたが、逆に日本側の捕虜となり、清正に勘定方として召し抱えられた金宦という朝鮮人がいたことは、まったく知りませんでした。あるとき、金宦のことを雑誌の加藤清正特集で知り、しかも、この金宦という人物は、清正の死に際して殉死している。あの時代であっても、主に殉じるのは生半可なことではなかった。それを不本意に捕らわれの身となり、日本に連れてこられた男がなぜ? いったい、どんな思いを抱いていたのだろうというところから、この作品は始まりました。
最近の日本と韓国は、経済的にも文化的にも、非常に親しい関係になりました。だからこそ、臭いものに蓋をせず、両国の忌まわしい歴史に対しても直視をすべき時期にきていると思います。文禄・慶長の役についても、鼻切りなどの日本軍による残虐行為ばかりが有名で、これまで研究者も作家も、あまり近寄らない題材でした。ただ、いつか誰かがそれをやらねばならない。自分がやろうと思いたったんです。
最初にできるだけニュートラルな視点で描くという方針を立て、まず、原書の直訳に近い形で出ている『懲【比+必】録(ちょうひろく)』や『看羊録(かんようろく)』をはじめ、史料をじっくり読みました。客観的に史実をチェックしていくと、定説とされてきたことにも、おかしな点が多々あることに気づきます。こうした作業を経て、史実に自分なりの解釈を施しました。その上に、沙也可と金宦のドラマを構築していったわけです。
しかし、当時の史料を調べるだけでも大変でしたし、その上、地理、宗教、文化、政治体制、自然なども簡単には頭の中に入らない。何度もくじけそうになりました(笑)。それでも何とかやりおおせたのは、少しでも、日韓両国の友好に尽くしたいという使命感でしょうか(笑)。見えない力の後押しもあって、この作品を書き通すことができました。
――ふたりが仕えた加藤清正も、ありきたりの「虎退治」のイメージとはずいぶん違いました。
伊東 清正は、ステレオタイプの豪傑として描かれることが多く、ずいぶんと誤解されてきたと思います。朝鮮出兵の終盤、戦線縮小を主張して秀吉の逆鱗に触れたことなど、明らかな史実ですが、触れられることがなかった。けれど、清正は武将として「かくあらん」という思いと、悲惨な戦いの狭間で苦しみ、あえて秀吉に戦線縮小を提案したわけです。「正義」とは何かを自問し、ひとりの人間として苦悩する清正像を、新たに描けたと思います。それを際立たせるために、今回は小西行長を悪役に仕立てましたが、そこは小説ですから……。彼の立場や思惑もよく分かりますし、再び、行長の視点から、この戦いを書いてみたいという気持ちもあるんですよ。
歴史時代小説の読者は、この武将が好きだからこの武将について書いたものを読むという方が多いんですね。清正だったら清正、行長だったら行長、新選組だったら新選組を追いかける。それだけではなく、自分の好きな英雄が悪く書かれていると、物語を楽しむ前に気分を害してしまうこともあります。『北天蒼星』の中では、上杉景勝と直江兼続を、悪役として描いたのですが、熱烈な上杉・直江信者たちから、ずいぶん不評を買いましたね(笑)。
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